褒めない先生が、いちばん信頼される。
15年、占いを教える仕事をしてきて、私が辿り着いた結論のひとつです。
褒めないから冷たい先生、という意味ではありません。
軽々しく、褒めない先生。
褒め言葉は、安くなりやすい。
教える現場で、先生が軽く褒めてしまう場面は、たくさんあります。
「いいですね」「素敵です」「センスあります」「成長してますね」。
こういう褒め言葉は、その場の空気をやわらげるための、社交辞令として、使いやすい。
先生側は、悪気なく、出している。
でも、生徒側は、意外と敏感に聞いています。
何回か会ううちに、「あ、この先生、私にも、隣の人にも、ほかの生徒にも、同じように『いいですね』って言うんだな」と気づく。
気づいた瞬間、その褒め言葉の価値が、ゼロに近づきます。
褒め言葉は、配りすぎると、安くなる。
褒めない先生は、見ている。
一方、あまり褒めない先生。
生徒が頑張って何かを仕上げても、「なるほど」とか「ここは、こうした方が良かったかもしれない」とか、淡々としている。
最初、生徒は、物足りなさを感じます。
「この先生、私のこと、評価してくれてないのかな」
「もっと褒めてくれる先生のところに変えようかな」
そう、離れていく生徒もいる。
でも、残った生徒に、いつか、その先生が、ほんの一言、こう言う日が来ます。
「今日のこの読み方、良かった。」
その一言の、重み。
普段、軽々しく褒めない先生の「良かった」は、生徒の心を、根っこから、震わせます。
その一言のために、生徒は、もう10年、ついてくる。
褒めないのは、無関心ではない。
誤解のないように、書いておきます。
褒めないのは、無関心、ということではない。
むしろ、逆。
その生徒の、いちばん大事な部分を、じっと見ている先生ほど、簡単には褒めない。
「今日のこの子は、まだ、本気を出していない」
「今日のこの子は、昨日の自分を越えられていない」
「今日のこの子は、心が、まだ少し上の空」
こういう観察を、密かに、しているからこそ、そこに本気が乗ってきた瞬間だけ、「今日は、良かった」と言える。
見ているから、言える。
見ていない先生は、褒めるタイミングが分からないから、常に均等に、薄く褒めることになる。
言葉を、選ぶ先生。
褒めない先生は、言葉を、選ぶ先生です。
同じ「いい」を伝えるのでも、
「今日の、2枚目の読み方、きれいに繋がってた」
「ここで言葉を止めた間合い、いつもより落ち着いてた」
「さっきの質問、鋭かった」
具体的に、何が良かったのかが、言葉の中に、入っている。
これは、受け取る側にとって、完全に違う体験です。
「いいですね」とだけ言われた生徒は、何がいいのか、分からない。次も同じことをすればいいのか、違うことをした方がいいのかも、分からない。
具体的に言われた生徒は、「ここを、もっと磨こう」と、進む方向が分かる。
言葉を、ただ配る先生ではなく、言葉を、選ぶ先生。
長く続く関係は、後者のほうでしか、生まれない。
自分が先生のときも、生徒のときも。
私は今、教える側でもあり、教わる側でもあります。
教える側としては、軽々しく褒めないように、日々、自分にブレーキをかけている。
教わる側としては、軽々しく褒めない先生を、選んでいる。
褒めてくれる先生は、一見気持ちがいい。
でも、5年、10年と一緒に歩く相手としては、褒めない先生のほうが、はるかに、育ててくれる。
褒められて上がった気分は、翌朝には、消える。
褒められない時間のなかで磨かれた技術は、一生、残る。
先生を、選ぶとき。
これから誰かに習う予定の人に、ひとつだけ、アドバイスを。
最初の1〜3回で、たくさん褒めてくる先生は、要注意。
新規生徒を逃さないための褒め言葉、という可能性がある。
最初の回で、静かに観察してくる先生、必要な時だけ短く評価してくる先生。
その先生のほうを、選んでください。
気持ちよくはない。
でも、その先生の隣で5年過ごしたあなたは、気持ちよさでは得られない、確かな力を、手にしています。
褒め言葉は、大事だからこそ、使いすぎない。
褒めるな、と言っているのではありません。
褒め言葉は、大事な道具。大事だからこそ、使いすぎないでほしい、という話です。
ここぞというときに、まっすぐ、伝える。
それ以外の時間は、じっと、観察していてください。
生徒を信頼させる力は、褒め言葉の回数ではなく、褒め言葉を選ぶ精度の中に、ある。
褒めない先生は、愛情がないのではなく、愛情を、真剣に配っているだけ。
そのほうが、受け取る側には、伝わる。
