口紅は、気合いの入れ方を、決める道具です。
化粧品の中で、いちばん派手で、いちばん気分を動かす、魔法の道具。
これは、15年、ヘアメイクの現場で働いてきた私が、ずっと感じていること。
口紅の、その日のモード。
朝、鏡の前に座って、口紅を選ぶ。
今日、どんな一日にしたいか、で、選ぶ色が変わります。
深い赤。
これを塗る日は、「戦う日」。
大事なプレゼン、緊張する打ち合わせ、難しい鑑定。自分の背中を押したい日に、迷わず、深い赤。
やわらかいピンク。
これを塗る日は、「柔らかくいたい日」。
誰かに寄り添いたい日、心を開いて話したい日、繊細な相手と会う日。
ブラウンがかったヌード。
これを塗る日は、「考えたい日」。
静かに原稿を書く日、一人で街を歩く日、背景に溶け込みたい日。
色を決めると、その日の自分の、モードが、決まる。
口紅は、鎧にもなる。
苦手な相手に会う日には、必ず、口紅を、くっきり引きます。
塗り方を、いつもより、少しだけ、輪郭をしっかり。
口紅の輪郭がしっかりしていると、心の輪郭も、しっかりする、気がするのです。
弱った気持ちのまま、ぼんやりした口元で、苦手な相手と向かい合うと、押し切られてしまう。
でも、鏡で、キリッと引かれた赤い唇を見てから出かけると、「今日、私は、私を守れる」と、自分に言える。
口紅は、鎧。
薄く軽く、でも、外側からの攻撃を、半分、跳ね返してくれる、軽やかな鎧。
付け直す時間の、儀式。
1日のなかで、口紅を付け直す時間も、大事な儀式です。
ランチのあと、お化粧室の鏡の前で、ミラーを開く。
食事で少し剥がれた口紅を、ティッシュで押さえる。
リップバームを塗って、口紅を、もう一度、静かに引く。
この数十秒の、小さな時間。
ただ色を直しているのではなく、午後の自分を、もう一度、整えている。
午前中、いろいろあって、少し疲れた顔を、色で、起こす。
ランチのあとの眠気を、色で、追い払う。
「よし、午後も、やるぞ」と、自分に、合図を送る。
口紅を付け直すのは、スイッチを入れ直す作業、でもあります。
色の選び方は、体調も教えてくれる。
朝、口紅の色を決めるとき、その日の体調が、色の好みに、出ます。
元気な日は、派手な色が、しっくりくる。
疲れている日は、派手な色が、顔負けしてしまう。
肌のトーンが落ちている日は、明るすぎる色は、浮く。
これを逆手に取って、「今日、どの色がしっくりくるか」で、自分の体調を、診断できます。
朝、いつもならしっくりくる赤が、浮くように感じる日。
それは、体調が、少し落ちているサイン。
無理して赤を塗らずに、やさしい色に変えて、その日の予定も、少し軽めにする。
色が、自分と、対話してくれる。
ベストの1本を、持っている。
口紅は、何本持っていてもいい道具ですが、「いちばんのベスト」は、一人ひとり、決めておくべき。
迷った日、疲れた日、何もかもがしっくりこない日。
そういう日でも、この1本を塗れば、間違いなく、自分の顔に、合う。
その安心感は、他のどんなコスメよりも、心強い。
私のベストは、深いけれど、派手すぎない赤。
ずっと同じブランドの、同じ番号。
鞄にも、化粧ポーチにも、寝室のサイドテーブルにも、1本ずつ置いてあります。
どこにいても、ふと取り出せる、私の、頼れる1本。
年齢で、口紅を手放さないで。
40代、50代、60代になっても、口紅を、手放さないでほしいと、思います。
よく、「年齢が上がると、派手な口紅は似合わなくなる」と言われる。
全然、そんなことはありません。
むしろ、年齢を重ねた人ほど、深みのある赤が、驚くほど、似合う。
若い人の派手な赤は、張りのある肌と合わさって、華やかさを出す。
大人の深い赤は、これまで生きてきた時間と合わさって、重みと、品を、出す。
どちらも、美しい。
年齢を理由に、口紅を捨てないで。
むしろ、年齢を重ねたからこそ、自分の顔に合う口紅を、新しく探してほしい。
塗る、その瞬間の、小さな祈り。
口紅を、唇に乗せる、その一瞬。
鏡の中の自分を、見つめる。
今日、私は、誰と会うのか。
今日、私は、何を大事にしたいのか。
今日、私は、どう、自分を運ぶのか。
その問いに、色を重ねながら、答える。
口紅を塗る、たった数秒の時間は、一日で、いちばん短い、自分への祈り。
「よし、今日も、私で、いこう」
そう、口に出さずに、色で、宣言する。
口紅は、気合いの入れ方を、決める道具。
道具と思って、たかがコスメと、軽く見ないでください。
あなたが今日、どう生きるかは、塗る一瞬に、込められている。
