窓の外に雨が降っている朝、私はいつも同じ棚の前で少しだけ迷う。
ラベルに書かれた成分を読んで、香りを確認して、それから手に取る。
「自然派」と書かれていないそのボトルを。
「自然がいちばん」という呪文について
美容の世界には、長いあいだ生き続けている呪文がある。
「自然のものがいちばん体にいい」。
「ケミカルは肌に悪い」。
「添加物のないものを選びなさい」。
このメッセージは、とても気持ちがいい。
なぜなら正しそうに聞こえるから。
自然対人工、という対立軸は、わかりやすくて、美しくて、安心感がある。
でも私は15年以上、タロットを読み、占星術を使い、ヘアメイクの仕事をしてきて、そして膨大な量の美容情報を書いてきた。
その経験のなかで、この呪文が実際にどれだけの誤解を生んできたかを、ずっと目の前で見てきた。
クライアントの顔を近くで見ながら、肌荒れの原因を探ると、「自然派」のオイルを何種類も重ねていた、ということが珍しくない。
精油を原液で使っていた、という話も何度聞いたかわからない。
「天然だから安全」と信じて、濃度の高いハーブエキスを顔に塗り続けて、接触性皮膚炎を起こしていた人もいた。
「自然」という言葉は、免罪符ではない。
私はそれを、はっきり書いておきたい。
毒も薬も、自然の中にある
植物の世界に少しでも踏み込めば、すぐにわかることがある。
自然のなかには、猛毒がある。
トリカブトは野山に咲く花だ。
フグは海の生き物だ。
ベラドンナは美しい黒い実をつけるハーブだ。
どれも「自然」由来で、どれも人を殺せる。
一方で、多くの現代医学を支えている化合物は、最初は自然界から発見された。
アスピリンはヤナギの樹皮。
ペニシリンはカビ。
タキソールはイチイの木。
「ケミカル」と呼ばれて敬遠される成分の多くが、もとをたどれば自然の中にあったものの、構造を解析し精製し安定させたものだ。
つまり「自然か人工か」という問いの立て方そのものが、すでに少しずれている。
美容成分の話でも、同じことが言える。
たとえばレチノール。
これはビタミンAの誘導体で、植物性食品にも動物性食品にも存在する。
しかし化粧品として使われるレチノールは、濃度と安定性をコントロールするために合成されたものが多い。
「ケミカル」に分類されがちだが、その作用機序は細胞レベルでの再生を促す、非常に精密なものだ。
一方で、「天然由来」とうたわれるエッセンシャルオイルの多くは、アレルゲンの宝庫でもある。
ラベンダー、ゼラニウム、イランイラン、ベルガモット——これらは香りとして美しく、心を落ち着かせる効果もあるが、肌への刺激性と光毒性のリスクを同時に持っている。
私が「自然派」を選ばない、という時、それは自然を嫌いだということではない。
「自然だから安心」という思考停止を、やめることにした、ということだ。
ある春の午後、鑑定室で見た顔
少し前のことを思い出す。
春の午後、アトリエに来たクライアントがいた。
鑑定の前に少し話していると、顎のラインに赤みが出ていることに気づいた。
彼女は「最近ずっとこんな感じで」と笑っていたけれど、その赤みの質感が、私には引っかかった。
「最近、スキンケア変えた?」と聞くと、少し間があって、「そういえば、オーガニックコスメに全部切り替えたんです」と言う。
棚に並んでいるというボトルの話を聞いていくと、ローズヒップオイル、アルガンオイル、精油を数種類ブレンドしたオリジナルのフェイスオイル、ハーブ系のチンキ剤、ビタミンCのナチュラル処方の美容液——これを毎日重ねていた。
どれもそれだけを見れば「いいもの」かもしれない。
でも、それだけのオイルと植物性成分を顔全体に毎日重ねて、しかも春の花粉シーズンに、皮膚が悲鳴を上げないわけがない。
「自然派に切り替えてから、なんか肌が落ち着かなくて」と彼女は言った。
「でも、ケミカルなものを使うのが怖くなってきて……」
怖くなってきた。
その言葉が、ずっと頭に残っている。
美容情報が「恐怖」を媒介にして広がっていく構造を、私はそのとき改めて考えた。
「○○が入っているから危険」「防腐剤が肌を壊す」「合成香料で体が蝕まれる」——こういった言葉は、感情的に強く刺さる。
そして一度刷り込まれると、「ケミカル=悪」という構図がなかなか解けなくなる。
彼女の肌は、恐怖によって選ばれたスキンケアで、傷んでいた。
「合成」の何が、そんなに怖いのか
合成成分への恐怖は、どこから来るのだろう、とよく考える。
ひとつは「わからないもの」への本能的な警戒心だと思う。
「ヒアルロン酸Na」「ナイアシンアミド」「ジメチコン」——これらはカタカナや化学式で書かれていて、直感的には理解しにくい。
一方で「ローズウォーター」「シアバター」「ホホバオイル」は、名前から何かが想像できる。
その「わかりやすさ」が、安心感に直結している。
でも、「わかりやすい名前」と「安全性」は、まったく別の話だ。
ナイアシンアミドは、シミや毛穴に対する臨床データが豊富にある成分だ。
配合濃度と剤型によって効果が大きく変わるが、適切に処方されたものは、多くの人に穏やかで確実な変化をもたらす。
ジメチコンは、シリコーン系の成分として嫌われることがあるが、実際には被膜を作ることで肌のバリアを補助し、摩擦から守る役割を持っている。毛穴を詰まらせるというのは、古い都市伝説に近い。
逆に、「天然」として流通している精油には、EU規制でアレルゲン表示が義務付けられているものがいくつもある。
ラベンダー油に含まれるリナロール、シトラスオイルに含まれるリモネン——これらは自然由来でありながら、感作(皮膚がアレルゲンとして認識すること)を引き起こすリスクがある。
私がヘアメイクの仕事をしていると、成分の「語感」と「実態」のあいだのギャップを、日常的に感じる。
撮影現場で、モデルの肌に一番安定した結果を出すのは、たいてい「ケミカルと呼ばれがちな成分」がしっかり入ったベースメイクアイテムだ。
「オーガニック処方で仕上げました」という製品が現場で崩れるのを、何度見たかわからない。
美しさには、理論がある。感情論だけでは届かないところがある。
私が棚に選ぶもの、その基準
では、私は何を基準にスキンケアを選んでいるのか。
正直に言う。
「成分の出自」ではなく、「成分の働きと濃度とpH」を見ている。
そして、「自分の肌が今何を求めているか」という問いに、できるだけ正直に答えようとしている。
私の肌は、秋から冬にかけてセラミドが欲しくなる。
夏はナイアシンアミドと日焼け止めが主軸になる。
生理前は皮脂が増えるから、オイルフリーのテクスチャーに切り替える。
乾燥がひどい日には、ヒアルロン酸の分子量の異なるものを重ねる。
これらの判断に、「天然か合成か」という軸はほとんど関係ない。
「今の肌に、何がいるか」——それだけを見ている。
たとえば、アトリエの棚には今、いくつかのアイテムが並んでいる。
フランスのラボが開発した、レチノールとペプチドを組み合わせた美容液。
韓国のスキンケアブランドの、ナイアシンアミドが5%入ったトナー。
日本の老舗化粧品会社の、セラミド処方の乳液。
そして、ひとつだけ——蜂蜜とシアバターを主成分にした、フランスのオーガニックブランドのリップバーム。
リップバームだけがオーガニック処方なのは、唇に塗るものは無意識に口に入る量が多いから、という理由だ。
それは「天然信仰」ではなく、「経口リスクを考えた選択」だ。
一見矛盾しているように見えるかもしれない。
でもこれが、私の美容の哲学だ。
ルールではなく、思考の結果として選んでいる。
占星術師として、「自然」を読む
少し視点を変えよう。
私は占星術師でもある。
惑星の動きを読み、季節とエネルギーの関係を見るのが仕事のひとつだ。
その視点から言うと、「自然に寄り添う」という感覚はとても大切なものだと思っている。
月のサイクルに合わせてスキンケアを変える、というアドバイスをすることがある。
新月の前後は肌が敏感になりやすいから、刺激の強いトリートメントは避ける。
満月に向かうタイミングで、ピーリングや集中ケアを取り入れる。
これは「自然のリズムを読む」行為で、私は本気でそれが有効だと考えている。
でも、そこに使うアイテムが「天然素材でなければならない」とは思っていない。
自然のリズムを読むことと、使うアイテムが天然由来かどうかは、別の話だ。
月の引力を信じながら、ナイアシンアミドを使っていても、何の矛盾もない。
タロットを読んでいると、カードが伝えてくることは、しばしば「対立を超えた選択」だ。
「どちらが正しいか」ではなく、「今、自分に何が必要か」を問い続けること。
魔術的な思考と科学的な思考は、対立しない。
どちらも、世界を読むための言語だ。
私がアトリエで鑑定をしながら、ヘアメイクもして、美容の記事も書いているのは、こうした「複数の言語で世界を見る」という姿勢が根底にあるからだと思う。
どれかひとつに絞ったほうが、わかりやすい。
「スピリチュアル系の占い師」「科学的な美容ライター」——どちらかに収まれば、説明が簡単になる。
でも、それをしない。
なぜなら、現実はそのふたつのあいだにある、と知っているから。
「選ぶ理由」を持てているか
美容雑誌の仕事をしていると、時々奇妙な体験をする。
取材で「オーガニック特集」を担当した時のことを思い出す。
複数のブランドのPR担当者と話していると、ある人がこう言った。
「うちのブランドは合成香料をいっさい使っていないんです。だから敏感肌の方にも安心です」
私は少し考えてから、確認した。
「使っている精油の種類を教えていただけますか?」
答えを聞いて、書けることと書けないことが瞬時に整理された。
使われていた精油の種類の中に、光毒性のリスクがあるものと、アレルゲン指定成分が複数含まれているものがあった。
「合成香料なし=敏感肌に安心」という図式は、このケースでは成立しない。
これを記事にどう書くか、という問題が発生した。
「オーガニック特集」の文脈で、その矛盾を指摘することは、編集部との調整が必要になる。
いつも思うことだが、美容情報の世界には「文脈の圧力」がある。
「自然派特集」の記事に、「でも合成成分の方が安全な場合もあります」とは書きにくい。
その結果、偏った情報が積み重なって、「自然派=安全=善」という刷り込みができあがっていく。
私がこのエッセイを書いているのは、そのカウンターとして、という部分もある。
アトリエのブログは、レイラが本音を書く場所だ。
編集会議も、PR圧力も、ここにはない。
「なぜそれを選ぶのか」という理由を、自分の言葉で持てているか。
それが、美容における本当の意味での自立だと思う。
「みんながいいと言っているから」でも、「天然だから安心」でもなく、「自分の肌の状態を観察して、成分の働きを理解して、試してみて、結果を見た上で選んでいる」——この回路を持てているかどうか。
それが、私の中で一番大事なことだ。
地上波で話さないこと
テレビの仕事をする機会がある。
地上波の番組に出ると、発言は短く切り取られる。
ニュアンスを込めた話は、尺に合わせてシンプルにされる。
それは仕方のないことで、メディアという場所はそういうものだ。
でも私は時々、「これは言えない」と思うことがある。
「自然派コスメの落とし穴」を、テレビで語ることは難しい。
スポンサーの問題があるし、視聴者の反応の問題もある。
「占い師が美容批評?」という違和感で、話が終わることもある。
でもここには書ける。
私が長年見てきたなかで、肌トラブルの原因として意外に多いのは、「良かれと思って試したオーガニック製品」だ。
もちろん、オーガニックコスメに素晴らしいものはたくさんある。
ただ「オーガニックだから肌に優しい」という前提で、複数ブランドの製品を混在して使ったり、肌が荒れてもやめられなかったり、という状況は、繰り返し目にしてきた。
一方で「ケミカル処方だから」と先入観で敬遠されているアイテムが、実はその人の肌に一番合っている、ということも、珍しくない。
私が鑑定室で人の顔を見る時、肌の状態はひとつの「情報」だ。
顔色、質感、乾燥と皮脂のバランス、赤みや色素沈着の分布——これらは、その人がどう自分の体と向き合ってきたかを、静かに語っている。
美しさは、選択の積み重ねだ。
そしてその選択が「恐怖から」なのか「理解から」なのかは、肌に出る。
そう感じている。
「シンプルケア」という別の罠
近年、「スキンケアはシンプルに」「成分を減らす」というアプローチが広がっている。
これ自体は、一定の合理性がある。
重ねすぎることで起きるトラブルは確かに多い。
でも「シンプルケア」もまた、思考停止のツールになりうる。
「洗顔と保湿だけでいい」「ミニマリズムが正解」という文脈が、別の思考の枠を作りはじめている。
紫外線対策をサボっても「シンプル」と言えてしまう。
30代以降に必要になる積極的なアンチエイジングケアを「やりすぎ」と感じさせる空気がある。
これも、「自然派信仰」と同じ構造だと思う。
ひとつの「正解らしい概念」が生まれると、それに沿って判断することで思考を止めてしまう。
私は「シンプルケアが好き」な人を批判したいわけではない。
ただ、「シンプルケアが正しいから選んでいる」と「自分の肌を見た結果、シンプルで十分だと判断した」では、根本が違う。
秋の夕方、アトリエの照明の下で自分の顔を確認する習慣がある。
昼間とは違う角度の光で見ると、毛穴の状態、乾燥のラインの位置、くすみのパターンが、また違って見える。
その確認から、次の季節のスキンケアを組み立てていく。
毎年秋になると、ハイドロキノンを使った集中ケアを取り入れる。
ハイドロキノンは「ケミカルの代表格」として怖がられることがある成分だが、紫外線による色素沈着に対して、適切な濃度と使用期間を守れば、非常に有効なアプローチだ。
「怖いから使わない」よりも、「正しく理解して、必要な時に使う」——これが私の選択だ。
ミニマリズムも自然派も、道具に過ぎない。
道具に使われる人間になってはいけない。
美しさは、自分を知ることから始まる
最後に、少し個人的な話をしたい。
私が美容を仕事のひとつにしたのは、ヘアメイクアーティストとしてのキャリアがきっかけだが、その根底には「人の顔を見ることへの興味」がある。
占星術でホロスコープを読むのも、タロットでカードを読むのも、ヘアメイクで顔を仕上げるのも、私の中では同じ感覚の延長線上にある。
「この人は今、何を必要としているか」を読む行為だ。
美容の文脈に置き換えると、「この肌は今、何を必要としているか」になる。
自然派であることへの信仰は、この問いを省略する。
「天然だから大丈夫」と決めた瞬間に、「今の肌の状態を観察する」という行為が不要になる。
合成成分への恐怖も、同じだ。
「ケミカルだから怖い」と決めた瞬間に、「この成分は自分の肌にどう作用するか」という思考が止まる。
15年以上この仕事をしていると、「美容が得意な人」の共通点が見えてくる。
それは、成分に詳しいことでも、高価なアイテムを使っていることでも、ルーティンが徹底していることでもない。
「自分の肌を客観的に観察できること」。
ただ、それだけだ。
感情で選ばず、ルールで選ばず、今の自分を見た上で選べること。
これができる人は、肌のトラブルが起きても回復が早い。
なぜなら「何かがおかしい」という信号を、すぐにキャッチできるからだ。
冬の夜、アトリエの静かな灯りの下で、ひとつひとつのアイテムを手に取る。
香りを確かめて、テクスチャーを確かめて、今日の肌の状態を確かめて、選ぶ。
その行為に、ラベルの「自然派」という文字は関係ない。
「自然派を選ばない」というタイトルにしたのは、「自然派を否定したい」からではない。
「なぜ選ぶのか、を考えてほしい」から、だ。
美容は、知識と観察の積み重ねだ。
恐怖や流行や「正解らしさ」ではなく、自分の顔への敬意が、その出発点になる。
棚の前で迷う朝に、私はそのことを、また静かに確認する。
雨の音と一緒に。
あなたが今朝、手に取ったボトルに書かれた成分を、最後に読んだのはいつだろう。
「成分表示」を読む、という習慣の話
成分表示を読むようになったのは、ヘアメイクの仕事を始めてしばらく経った頃だ。
あるモデルの撮影で、ファンデーションを重ねた途端に肌が赤くなり始めた。
そのブランドの製品は「敏感肌向け」とうたっていたし、私自身も問題なく使っていた。
でも彼女の肌は、見る間に反応した。
現場は静止する。
アシスタントが新しいタオルを取りに走る。
私は製品のボトルを裏返して、成分表示を端から読んだ。
「香料」の表記があった。
「天然由来香料」と書かれていた。
後日、彼女はシトラス系の香り成分に感作していることがわかった。
「天然由来」と書かれた香料が、原因だった。
それ以来、私は現場に持ち込む製品の成分表示を必ず事前に確認する。
「敏感肌向け」「低刺激処方」「オーガニック認証」——こうしたラベルの言葉は、あくまで目安だ。
個人の皮膚が何に反応するかは、ラベルでは決まらない。
成分表示の読み方には、いくつかのポイントがある。
まず、成分は配合量の多い順に記載されている。
先頭に近いものほど、製品の大部分を占めている。
「水」が最初に来るのは当たり前だが、「アルコール(エタノール)」が上位に来ている場合、乾燥肌には刺激が強いことがある。
次に、「香料」という一括表示は、複数の成分を一言でまとめている場合が多い。
合成香料でも天然香料でも、アレルゲンを含む可能性はある。
そして「エキス」と書かれている植物由来成分は、アレルゲンの可能性を考えながら見ることが必要だ。
成分表示を読むことは、製品を「信頼」するのではなく「理解」することだ。
それは疑いではなく、敬意の示し方だと私は思っている。
作り手が丁寧に設計した製品を、使い手が理解して使う——そのサイクルが、美容を本当の意味で自分のものにしていく。
「難しそうで読む気にならない」という声もわかる。
でも最初から全部わからなくていい。
「アルコール(エタノール)」「香料」「○○エキス」——この三点だけを意識して見るだけで、自分の肌との相性を考えるヒントが、ずいぶん増える。
価格と品質のあいだにある、誤解について
「高いものが良い」というのも、「天然だから良い」と同じくらい、危うい思い込みだ。
美容品の価格は、成分の原価だけで決まっていない。
ブランドのイメージ、パッケージの素材、広告費、流通コスト、ストーリーテリング——これらがすべて価格に含まれている。
そのこと自体は批判ではない。
ブランドが作る世界観や体験は、美容の一部だ。
使う時の気分、香り、テクスチャーの官能性——これらは、データに現れない形で確かに肌と心に作用する。
ただ、「高いから成分が優れている」とは限らない。
具体的な話をしよう。
ドラッグストアで買える数百円のセラミド配合の乳液と、百貨店の高級ブランドの数万円のクリームを、成分表示で比べてみると、セラミドの配合順序が実はドラッグストアのものの方が上位に来ていた、ということがある。
もちろん処方の複雑さや使用感の洗練度は違う。
しかし「肌へのセラミド補給」という機能的な目的においては、安価なものが劣るとは言い切れない。
逆に、高価なオーガニックブランドの製品が、処方設計の観点から見てあまり論理的でない、という場合もある。
酸化しやすいオイルが酸化を防ぐ容器設計になっていない。
pH調整が不十分で、配合されている美容成分が十分に機能しない状態になっている。
そういったケースを、少なからず見てきた。
私がアトリエヴァリーのクライアントに時々聞かれるのが、「スキンケアにいくらかけるべきか」という質問だ。
私の答えはいつも同じだ。
「効果が出るものに、必要な分だけ」。
日焼け止めは毎日使う消耗品だから、続けやすい価格帯を選ぶ方が結果的に肌にいい。
高くて良いものを買って、惜しくて薄くしか塗らないなら、安くて使い切れるものの方が機能する。
一方で、レチノールやビタミンCの処方は製剤技術に差が出やすいから、ある程度の価格帯のものを選ぶ理由がある。
美容への投資は、「良いものを買いたい」という感情と、「実際に効果が出るかどうか」の計算の、両方を持ってするものだと思う。
感情と理論、どちらかだけでは足りない。
季節と肌と、変えること・変えないこと
占星術師として季節のエネルギーを読む仕事をしていると、「変化を読む」ことへの感度が自然と上がる。
春分から夏至へ、夏至から秋分へ——空気の質が変わるタイミングで、肌もまた違う顔を見せる。
私は年に四回、スキンケアルーティンを見直す。
厳密に季節の変わり目に合わせて、というより、「肌が違う主張をしはじめたな」と感じた時に、棚の前でもう一度考え直す。
たとえば六月の梅雨入り前後。
湿度が上がり始めると、毛穴が緩んで皮脂の分泌が変わる。
冬に重宝していたバリア補強のクリームが、急に「重い」と感じ始める。
それは製品が悪くなったのではなく、肌の必要量が変わったサインだ。
この時期、私はテクスチャーを軽くして、ナイアシンアミドの比率を少し上げる。
毛穴の見え方と皮脂のバランスが、二週間ほどで落ち着いてくる。
逆に十一月に入ったある朝、洗顔後の肌が「引きつく」感覚が戻ってきたら、それが切り替えのサインだ。
セラミドと尿素を含む製品を前面に出し直す。
加湿器を出す日と、スキンケアを切り替える日が、私の家ではほぼ重なる。
「ルーティンを変えないことが安定」という考え方もある。
肌は変化に敏感だから、むやみに製品を変えると反応が出る、という理論だ。
それは一定の真実を含んでいる。
ただ、「変えないこと」が目的になってしまうと、肌の変化を無視することになる。
肌は生きている。
年齢とともに変わるし、ホルモンバランスで変わるし、睡眠で変わるし、食事で変わる。
ストレスの多い時期と、気持ちが落ち着いている時期で、肌の見え方は確実に違う。
鑑定の予約が立て込んでいた時期、私は深夜まで画面を見ながら、朝になっても眠れないことがあった。
そういう週の肌は、くすんで、毛穴が目立って、いつも使っているアイテムが「効いていない」ように感じた。
それはスキンケアの問題ではなく、体の問題だった。
アイテムを変えるより、睡眠を確保することが先だった。
「自然派かどうか」ではなく「今の自分の状態と合っているかどうか」——この問いを持ち続けることが、美容における観察眼を育てる。
観察とは、毎朝洗面台の前で鏡を見る、ただそれだけのことだ。
でも、ちゃんと見ているかどうかで、積み重なる結果が変わってくる。
「信じる」ではなく「確かめる」を選ぶ理由
タロットの仕事をしていると、「信じること」と「確かめること」の境界線について、よく考える。
カードが示す方向性を「信じる」のではなく、カードが照らし出した可能性を「自分で確かめに行く」こと——これが、私が考える占いの正しい使い方だ。
「カードがそう言ったからそうなる」という受け身の姿勢では、何も変わらない。
美容も、まったく同じだと思う。
「このブランドが良いと言っているから信じる」「インフルエンサーが絶賛しているから試してみる」——これは入り口としてはいい。
でも、その先に「自分の肌で確かめる」というプロセスがなければ、情報の消費者のまま終わる。
私がアトリエのブログで美容について書く時に、一貫して意識していることがある。
「これを試した結果、私にはこうだった」という一人称の観察を、できるだけ具体的に書くこと。
「このナイアシンアミドのトナーを朝晩四週間使ったら、顎下のくすみが落ち着いてきた」。
「秋から冬にかけてレチノールを導入したら、三週間目に一時的に乾燥が増した。保湿を強化したら落ち着いた」。
こういう話を書きたい。
「これが正解です」ではなく、「私の肌ではこうだった」という情報は、読んだ人が自分の肌で試す時の参考になる。
そして「試したけど私は違った」という結果も、立派な情報だ。
企業顧問として美容ブランドのコンセプト設計に関わることがあるが、その場でも同じことを伝えるようにしている。
「このブランドを選ぶ人が、選ぶ理由を自分の言葉で説明できるように設計してほしい」。
「なんとなく良さそう」「天然だから」「ブランドのイメージが好き」——これらは選ぶ理由として弱い。
弱い理由で選ばれたブランドは、少し良いものが出れば簡単に乗り換えられる。
「確かめた結果として選んでいる」という体験を持っている人は、そのブランドへの信頼が本物になる。
それは消費者にとっても、ブランドにとっても、良いことだ。
信じることは、確かめることの後にくる。
その順序を、美容の世界では意外と多くの人が逆にしている。
窓の外の雨が少し弱くなった朝、棚のボトルを手に取る前の、あの一瞬の迷い。
私はあの迷いを、大切にしている。
迷わなくなった時が、観察をやめた時だから。
