「先生、私に似合う色って何色ですか?」
撮影現場でも、鑑定のあとでも、雑誌の取材でも、この質問だけは15年間ずっと変わらずに届き続けている。答えるたびに、私はすこしだけ複雑な気持ちになる。それは答えが難しいからではなく、「似合う色を知りたい」という問いの背後に、もっと深くて切実なものが隠れていることを知っているからだ。そして正直に言えば、私自身が「自分に似合う色」を本当の意味で理解するまでに、15年という途方もない時間を費やしたから。
パーソナルカラーを学んだ日のこと
ヘアメイクの世界に入りたての頃、私はとにかく「理論」に飢えていた。センスは後天的に磨けると信じていたし、美しさには必ず法則があると思っていた。だから業界に入って間もなく、当時まだ日本では専門家の間でしか語られていなかったパーソナルカラー診断の講座を受けた。ドレープと呼ばれる色布を次々と顔のそばに当てて、肌の透明感・影の出方・目の輝き方がどう変わるかを見ていく、あの体験は確かに衝撃的だった。「こんなに違うものか」と声が出た。
講座を終えた私は、得意満面で友人たちに診断をかけ始めた。「あなたはウォームなのにブルーベースの服ばかり着てる」「その口紅、惜しいな。ほんの少しオレンジ寄りにしたら全然変わる」。そういう言葉を、まるで処方箋を渡すように言えた。友人たちは喜んでくれたし、実際に色を変えた途端に「顔色が明るく見える」と言われた子もいた。私は自分が正しい知識を持ったと思っていた。
でも今振り返ると、あの頃の私は「パーソナルカラー理論」を知っていただけで、色のことを何も理解していなかった。理論と体験は別物だし、スプリング・サマー・オータム・ウィンターという4分類の枠に人を当てはめることと、その人の「似合う色」を読み解くことは、まったく異なる行為だ。それを気づかせてくれたのは、意外なことに、占星術だった。
占星術が「色の見え方」を変えた
ヘアメイクと並行して西洋占星術を本格的に学び始めたのは、キャリア3年目を過ぎた頃のことだ。占星術には、惑星と色の対応という古典的な体系がある。太陽は金色・橙、月は銀・白、金星は薄桃・薄緑、火星は赤、木星は藍、土星は黒、水星は混合色——そういう伝統的な対応表を眺めながら、私はあるとき気づいた。同じ「赤」でも、人によって赤の見え方は違う。いや、正確には「赤を赤として受け取る感覚」が違う、ということに。
例えば火星が強い人、つまりホロスコープで火星が目立つ位置にある人は、赤という色を「戦い」「情熱」「前進」として受け取る傾向がある。同じ赤でも、金星が強い人には「愛情」「誘惑」「官能」として映る。パーソナルカラー診断で「あなたは赤が似合います」と言っても、その人が「赤を何として着るのか」によって、纏われ方がまったく変わってくる。
この発見が、私の色の見方を根本から変えた。似合う色とは、物理的に「肌映りがいい色」だけではない。その人の内側にある何かと共鳴する色だ。ホロスコープを読みながら色の処方を考えるようになったのはこの頃からで、それが後にAtelier Varyの鑑定スタイルの根幹にもなっていった。でも当時の私には、まだ重要なピースが欠けていた。「他者を診る目」と「自分を見る目」はまるで別物だ、という認識がなかった。
「似合う色」が怖くなった時期
キャリアが10年を超えた頃、私はひどく色に迷っていた。奇妙な話に聞こえるかもしれない。色のプロとして仕事をして、地上波の番組で美容解説をして、企業の顧問として色彩戦略に関わっていた人間が、自分のクローゼットの前で固まっていた。
あの日のことは今でも覚えている。大切な仕事の前日、私はすべての服を床に並べて、どれも手に取れなかった。理由はわかっていた。「私が似合うと思っている色」と「私が着たいと思う色」と「人が私に似合うと言ってくれる色」が、三すくみになって動けなくなっていたのだ。
パーソナルカラー理論でいうと、私はウォーム系の肌を持っている。アースカラーや温かみのある赤、深みのあるゴールドはたしかに映える。でも私が本能的に惹かれるのは、スモーキーなグレーや青みがかったモーヴや、少し冷たさを帯びたラベンダーだった。「理論上は似合わない色」を求める自分を、長年ごまかしてきた。
もっと正直に言えば、ヘアメイクアーティストとして「正しい色使い」を見せなければならないというプレッシャーが、いつの間にか自分の色の感覚を塗り潰していた。まるでシェフが外食のとき「おいしいものを食べる」よりも「正しい料理を注文しなければ」と思い始めるような、悲しいねじれ方だった。
「似合う」という言葉の正体
その時期に私が真剣に考え直したのは、「似合う」という言葉の定義だった。
日本語の「似合う」は、英語に直訳するのが難しい。「flattering(お世辞を言う・引き立てる)」でも「suiting(適している)」でも、どこかニュアンスがずれる。「似合う」にはもっと不思議な含意がある。「その人がその色を着ることで、その人らしさが増す」というような、双方向の化学反応。
化粧品メーカーの顧問として色彩マーケティングに携わっていたとき、ある若いデザイナーが「”似合う”って結局、見る側の期待通りということじゃないですか」と言った。ドキリとした。確かに、私たちが誰かに「似合ってる」と言うとき、そこには「私のあなたへのイメージと合致している」という意味が混ざっている。逆に言えば、誰かの期待やイメージを外したとき、似合わないと感じられることもある。
でも本当にそれでいいのだろうか。「似合う」を「周囲の期待と合致する」と定義してしまったら、自分の色を選ぶことは、常に他者の承認を求める行為になってしまう。私がクローゼットの前で固まっていたのは、まさにその罠にはまっていたからだと気づいた。「私がこの色を好き」という感覚よりも、「誰かがこの色を私に似合うと思うか」を先に考えていた。それは15年かけて作り上げた、静かで巧妙な自己疎外だった。
色は「なりたい自分」を先取りする
転機になったのは、ある鑑定での出来事だ。50代の女性のお客様が「もう地味な色しか着てはいけない気がして」と言いながら、それでも明らかに赤やフューシャピンクに目が釘付けになっていた。診断上、彼女にはビビッドな色が映えるスペックがある。でも「50代にそういう色は恥ずかしい」という思い込みが、自分の感覚を封じていた。
私は迷わず言った。「着てください、その赤を」と。
彼女が赤いドレープを肩に乗せた瞬間、部屋の空気が変わった。あれは本当に不思議な現象で、光が変わったわけでも何かが動いたわけでもないのに、その場にいた全員が「あ」と息を飲んだ。彼女自身もそれを鏡の中で見て、しばらく黙っていた。そのあと「忘れてた」と言った。色を、ではなく、「こういう自分を」忘れていた、ということだろうと私は思った。
この場面を通じて、私は改めて確信した。色は「今の自分を反映するもの」であると同時に、「なりたい自分を先取りするもの」でもある。占星術で言えば、今の惑星配置だけを読むのではなく、これからトランジットで来る星の力も読んで、色を選ぶ、そういうイメージだ。赤を着ることで、その人の中に眠っていた赤的なエネルギーが引き出される。これはスピリチュアルな話をしているのではなく、色彩心理学や認知科学が裏付けている、非常にリアルな現象だ。
「今の肌の状態に一番映える色」と「今の自分が必要としている色」は、必ずしも一致しない。そしてどちらが「本当に似合う色」かと問われたら、私は後者だと言いたい。
「似合わせる」技術と「選び直す」勇気
ヘアメイクアーティストとして15年間積み上げてきた技術の中で、私が一番誇りに思っているのは実は「似合わせる技術」だ。理論上は似合わない色でも、ベースメイクのトーン調整・リップラインの操作・シャドウの入れ方次第で、驚くほど纏わせることができる。
撮影現場で印象的なことがあった。雑誌のグラビアで、カメラマンのディレクションで「その女優にはオフホワイトを着せたい」という要望があった。パーソナルカラー的には彼女にオフホワイトは難しい肌質だったが、私はベースをマットにし、目元に深みを出し、口元を少し影で引き締めることで、彼女に白を「着こなさせた」。仕上がりを見て彼女が「なんか、いつもより自分らしい気がする」と言った。
理論が「似合わない」と言う色でも、技術と意志があれば着こなせる。これが「似合わせる技術」だ。でも同時に私は思う。「似合わせる技術」が高まれば高まるほど、「何が本当に自分の色か」という感覚は曖昧になっていく危険がある。プロとしてすべての色を操れるようになることと、自分の色を知ることは、全然別の話だ。むしろ何でも似合わせられるようになると、「本当に似合う色」への感度が鈍るという逆説がある。
だから「選び直す勇気」が必要になる。化粧を落とした素顔で、照明のない自然光の下で、鏡を前にして、どの色を手に取りたいか。技術も知識も理論も一旦置いて、ただ感覚に問いかける。私にとってそれは、15年経ってようやく許せるようになった、静かな習慣だ。
グレーとラベンダーに戻った夜
自分の色を「選び直す」と決めた夜、私はクローゼットの中から長年手放せなかった一枚のワンピースを引っ張り出した。スモーキーなラベンダーグレー。買ったのは随分前で、「理論上は私には似合わない」とわかっていながら処分できなかったやつだ。
着てみた。鏡を見た。
美しいかどうかはよくわからなかった。ウォーム系の肌に青みがかったグレーラベンダーだから、確かに「映える」という感じではない。でも「似ている」と思った。この色と私が、似ている、と。寄り添う感じとか、共鳴する感じとか、そういう言葉の方がしっくりくる。パーソナルカラー診断の「映える・映えない」の軸とは別の、もっと内側にある何かが、この色に呼応していた。
翌日、仕事仲間にその話をしたら、「レイラさんにそういう色、すごく合ってる気がします」と言われた。一年前の私なら「でも理論上は……」と返していただろう。でもそのときは素直に「ありがとう」と言えた。「似合う」を自分で決め直したあとだから、他者の言葉が承認ではなく、ただの感想として届いてきた。
このとき初めて、「似合う色を知っている」という感覚の意味がわかった気がした。それは「似合う色を正確に診断できる」とか「一番映える色を知っている」ということではなく、「自分がどの色と共鳴するかを、他者の評価なしに決められる」ということだ。15年かかったのは理論を学ぶためではなく、その自由を自分に許すためだったのかもしれない。
「診断」の役割と「処方」の限界
Atelier Varyで色の鑑定・相談を受けてきた経験から、ひとつ正直に言わなければならないことがある。パーソナルカラー診断は、非常に価値あるツールだ。ただし、それが「出発点」であるときに限って。
診断は「あなたはこれ」と決めるためのものではなく、「あなたはこういう傾向がある」と知るための地図だ。地図を持つことで迷子になりにくくなるのは事実だが、地図が目的地を決めるわけではない。
よくある誤解に、「診断結果の色しか着てはいけない」というものがある。これはどこかの段階で生まれた、非常に不幸な誤読だ。診断の本来の役割は「あなたの肌の特性を活かすとこういう色が映える」という情報提供であって、「そのほかの色は禁止」ではない。なのに多くの人が、診断を受けた後「これは私のカラーじゃないから着られない」と色を捨て始める。その瞬間から、似合う色を探す旅が、色を排除する旅に変わってしまう。
占星術の鑑定でも同じことが起きる。「あなたはこういう星の配置だから、こういう色が合う」という情報を、「だからこれ以外はNG」と受け取る方がいる。でも星座も惑星も、時間とともに動く。人もまた動き続ける。今日のあなたに最適な色と、三年後のあなたに最適な色は、当然違うはずだ。だから私は「処方箋」より「見方の地図」を渡すことを大切にしている。魚を与えるより、釣り方を教えるという、あの話に近い。
診断はゴールではなく、入り口だ。そこから自分で歩いていく力を育てること——それがAtelier Varyが目指していることだし、私が15年かけて辿り着いた、色との付き合い方の根幹でもある。
色を「着る」のではなく「生きる」ということ
最近、色について考えるとき、私はよく絵の具を思い出す。子どもの頃、美術の授業でパレットを前にしたとき、何の迷いもなく好きな色を手に取っていた。あの感覚だ。理論も診断も関係なく、ただ「これが好き」という直感で色を選んでいた。
大人になるにつれて、私たちは色を「評価」するようになる。これは顔色が悪く見える、これは太って見える、これはその場に合わない——そういうフィルターが層のように重なって、最終的に「好きな色」より「正しい色」を選ぶようになる。ファッション業界もビューティ業界も、その判断基準の形成に相当貢献してきた。私自身もその一端を担ってきた、という自覚がある。
でも本当はどうだろう。色は服についているものだけじゃない。部屋の壁の色、朝目覚めたときに最初に見たいと思う空の色、食器の色、花の色、爪の色——日常のそこかしこに「自分が選んだ色」がある。それらすべてを通じて、私たちは毎日少しずつ、自分が何者であるかを表明している。
色を選ぶことは、自己表現の一形態だ。表現には正解がない。正解がないということを知った上で、「私はこの色が好きだ」と言える強さを持つこと。それが色と生きるということだと、今の私は思っている。15年前の私に教えてあげたい——いや、でも15年かけて歩いたからこそ、この言葉に重みが生まれた気もするから、急ぐ必要はなかったのかもしれない。
タロットを読むとき、私は色によく意識を向ける。22枚の大アルカナにはそれぞれに固有の色彩があって、その色を読み解くことがカードの解釈を深める。例えば「世界」のカードの月桂樹の緑と紫のスカーフ、「女帝」のカードの豊穣を象徴するあの深い緑と赤——これらは単なる装飾ではなく、意味の構造そのものだ。色は記号であり、感情であり、時間であり、意志だ。占星術でも、タロットでも、ヘアメイクでも、結局私が追いかけているのは「その人にとってその色が何を意味するか」という一点に集約されていく気がしている。
15年かけて知ったこと
「自分に似合う色」を知るのに15年かかった、と最初に書いた。もう少し正確に言い直すと、15年かけて「似合う色」という問いの立て方を変えることができた、ということだ。
最初の5年は理論を集めた。パーソナルカラー、色彩心理学、占星術の色彩体系、カラーマーケティング——知識は確かに増えた。次の5年は技術を磨いた。どんな色でも纏わせられる技術、どんな肌にも色を合わせる目——これも確かに身についた。でも残りの5年は、積み上げたものを一度降ろす作業だった。理論を知らなかった頃の感覚を、意識的に取り戻す作業。「映えるか」ではなく「好きか」を先に問うことを、プロとして許す作業。
3段階目が一番しんどかった。知識や技術は積み上げれば増えるだけで、基本的に心地よい。でも「降ろす」作業は、自分が積み上げたものを一旦否定するような感覚があって、ひどく心細い。それでも今の私には、その3段階目を経たことで手に入ったものが、最も大切な財産になっている。
Laylaとして、Atelier Varyとして、これからも色に関わり続けていく。鑑定の場でも、撮影の現場でも、記事でも、私が伝えたいのは「あなたに似合う色はこれです」という答えではなく、「あなたが自分の色を選べるようになるための目」だ。
あなたは今、どの色に手が伸びていますか。その感覚——それが出発点だ。
「似合う色を知ること」と「好きな色を知ること」は、どこかで一致する。あなたが今ためらっているその色が、もしかしたらその交差点にいるのかもしれない。
色を「変える」とき、人生も動いている
長年鑑定をしていると、ある法則のようなものに気づく。色の好みが急に変わったと言う人は、必ずといっていいほど、人生の何かが変わった直後か、変わろうとしている直前にいる。
先日、長年のお客様から久しぶりに連絡があった。「急にグレーや黒ばかり着たくなって、自分でも理由がわからない」というメッセージだった。彼女はずっとテラコッタやキャメルといった温かみのある色を好んでいた方だ。私は色の話を聞く前に、まず生活のことを聞いた。案の定、仕事環境に大きな変化があり、長く続けてきたプロジェクトが終わりを迎えていた。グレーや黒への欲求は、混乱ではなく、整理の始まりだった。色が先に「次のフェーズへ行こう」と告げていたのだ。
これは単なるエピソードではなく、私が何度も繰り返し目撃してきた現象だ。離婚や転職、大切な人を亡くした後、あるいは新しい恋愛の始まり——そういうタイミングで「急に今まで着なかった色が着たくなった」という話は、枚挙にいとまがない。心理的な説明としては、感情状態が変わると色の受け取り方が変わる、ということだが、私はもう少し詩的に解釈している。色は感情より少し先を歩く案内人のようなものだ、と。
占星術的に言えば、これはトランジット(惑星の移動)と非常によく対応している。木星が自分のアセンダントを通過するとき、派手で明るい色を突然身につけたくなる人がいる。土星の影響が強まる時期に、深みのある暗い色や構造的なモノトーンに引き寄せられる人がいる。星の動きと色の欲求が連動することは、科学的に証明された話ではないが、私の15年の観察の中では、無視できないほどの頻度で一致している。
だから私は、「似合う色を固定しなくていい」とよく言う。あなたの色は、あなたとともに変わってよい。いや、むしろ変わるべきだ。変わらない似合う色というのは、成長しない自分を前提にしているようで、私にはどこか寂しく映る。
「地味な色」を選ぶことへの偏見について
美容の世界にいると、明るい色・鮮やかな色・目立つ色が「正解」とされやすい空気がある。これはメディアの構造上仕方ない部分もあって、写真映えする色、パッと目を引く色が誌面でもSNSでも選ばれやすいからだ。結果として「地味な色」を好む人が、自分の感性に後ろめたさを覚えるという場面に、私は何度も遭遇してきた。
ある撮影で、スタイリストとやり取りしていたとき、モデルの女の子が「私、本当はくすんだ色が好きなんですけど、映えないって言われるから……」と小さな声で言った。その子はとても肌の綺麗な子で、くすみカラーを纏ったら間違いなく美しいと私には見えていた。でも業界の「映え」基準の中で、自分の感覚を手放しかけていた。
私はその場でメイクの方向を変えた。彼女の希望するくすんだモーヴのリップを使い、アイシャドウもスモーキーなテープグレーに寄せた。仕上がりを見たカメラマンが「これ、すごくいい」と言った。誌面では「旬の色」として扱われた。結局、彼女の感覚は正しかった。ただ「映えない」という他者の言葉によって、正しい感覚を疑わされていただけだった。
地味な色には、地味な色の強さがある。くすみカラーは「引き算の美学」が生きる色で、それを着こなせる人は、内側に揺るぎない軸を持っている印象を与える。鮮やかな色が「私を見て」と発信するとすれば、くすんだ色は「私はここにいる」と静かに存在する。どちらが上でも下でもない。ただ、語りかけてくる言語が違う。自分がどちらの言語を話したいかを知ること——それも「自分に似合う色を知る」ことの一部だ。
美容の仕事を通じて私が最も多く目にしてきた悲劇は、「誰かが決めた正解」によって、自分の感覚を手放した人たちだ。プロがそれをやってしまうと、その影響は非常に大きい。だから私は意識的に「あなたはどんな色が好きですか」を、診断の前に必ず聞くようにしている。理論の前に感覚、分析の前に欲求——その順番を守ることが、色の専門家として最も誠実な姿勢だと、今は確信している。
色鉛筆を買った日のことを、まだ覚えている
話が少し脱線するようで、実はこれが核心に近い記憶なのだが、聞いてほしい。
私が子どもの頃、クラスに120色の色鉛筆セットを持っている子がいた。当時の私は24色セットで、その子の色鉛筆箱を見るたびに、宝石箱を見るような気持ちになっていた。いつかあれが欲しいとずっと思っていて、大人になってから——本当に大人になってから、ある日デパートで120色の色鉛筆セットを自分で買った。
家に帰って箱を開けたとき、圧倒された。ただの色鉛筆なのに、目の前に120通りの世界が広がったような気がした。一本一本に名前がついていて、「ロシアンブルー」「フランスグレー」「バーントアンバー」——その名前を読むだけで小さな旅をするような感覚があった。
でも一番驚いたのは、120色あるのに、私が自然に手を伸ばす色が、だいたい同じグループに偏っていたことだ。青みがかったグレー、薄いスモーキーラベンダー、深い青緑、くすんだゴールド——理論上「私に似合わない」はずの色に、私は繰り返し手を伸ばしていた。
子ども時代に自然にやっていたことと、大人になって理論と技術で武装した自分が「正しい」と思っていたことの間には、大きなずれがあった。色鉛筆が、それを静かに教えてくれた。
あの日買った色鉛筆は今もアトリエの棚に置いてある。鑑定で行き詰まりを感じたとき、撮影プランが浮かばないとき、私はたまにあの箱を開ける。理論でも分析でもなく、ただどの色に手が伸びるかを確かめるために。それが私にとっての「原点に戻る」作業だ。プロであることは、感覚を超えることではなく、感覚を研ぎ澄まし続けることだと、あの色鉛筆は思い出させてくれる。
あなたの「似合う色」は、まだ更新できる
「自分に似合う色はもう決まっている」と思っている方に、最後にひとつだけ伝えたいことがある。
似合う色は、固定された答えではない。あなたの肌は年齢とともに変わる。ホルモンバランスが変わる。住む場所が変わる。照明が変わる。そして何より、あなたの内側が変わる。10年前のあなたに似合っていた色が、今のあなたには少し重く感じることも、逆に昔は避けていた色が今のあなたにしっくり馴染むことも、両方ある。それは正しい変化だ。
私が「自分に似合う色」を知るのに15年かかったのは、その変化を受け入れることを、ずっと恐れていたからかもしれない。一度決めたら守り続けなければ、という奇妙な義務感があった。理論もそれを後押しした。でも色は義務ではない。色は対話だ。毎朝クローゼットを前にして、今日の自分が今日必要な色を選ぶ——その小さな積み重ねが、気づけば「自分の色を持っている人」を作っていく。
「似合う色を教えてください」という問いをいただくたびに、私はその方の話をまず聞く。好きな色は、最近惹かれる色は、避けてきた色は——そういった質問から始める。なぜなら、「似合う色」は診断から生まれるものではなく、その人の感覚と歴史と現在地から生まれるものだからだ。私の役割は答えを渡すことではなく、その人が自分の答えを見つける道を照らすことだと思っている。
15年前の私は、パーソナルカラー講座を受けて帰りの電車の中で、「これで似合う色がわかった」と思っていた。今の私は、毎朝クローゼットを前に少し考えて、それでも時々迷って、それでいいと思っている。迷えるということは、まだ自分の色が動いているということだから。
あなたが「これが私の色かもしれない」とふと思う瞬間——その直感を、一度だけ疑わずに信じてみてください。その一歩が、15年よりずっと短い時間で、あなたを連れて行ってくれるはずだから。
