机の引き出しの、いちばん奥に眠っている。
黒い表紙のノートが、何冊も積み重なって。
誰も開けない。開けさせない。鍵もかけていないのに、誰も手を触れたことがない。それはたぶん、私が触れさせない気配を、ずっと纏っているからだと思う。
最初の一行は、十八歳の冬に書いた
二十年前のことを、今でも鮮明に覚えている。
十二月の夜、アパートの細い廊下に座って、コンビニで買った百円のボールペンを握っていた。暖房が壊れていて、指先がかじかんでいた。吐く息が白かった。その息の白さを、窓ガラスに映してしばらく眺めたあと、ノートを開いた。
最初に書いたのは、「今日、誰とも話さなかった」という一文だった。
それだけだった。それ以上、言葉が出てこなかった。でもその一文を書いた瞬間、何かが少しだけ、ゆるんだ気がした。肩の内側の、誰にも触れられない場所が。
日記を書こうと思って始めたわけではない。ただ、誰かに話したかった。でも話す相手がいなかった。というより正確には、話せる言葉を持っていなかった。あの頃の私は、自分の感情に名前をつけることが、ひどく苦手だった。悲しいのか、寂しいのか、怒っているのか、ただ疲れているだけなのか、そのどれでもないのか。ぐるぐると靄のかかった場所に、言葉はいつも届かなかった。
だからノートに書いた。声にならない何かを、字にした。
それが最初だった。
翌日も書いた。その翌日も書いた。三日坊主になると思っていたのに、気がついたら一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎ、一年が過ぎていた。ノートが一冊、埋まった。引き出しに仕舞った。また新しいノートを買った。それを繰り返して、二十年が経った。今、引き出しの中には二十三冊のノートがある。背表紙に年号だけ書いた、黒い表紙のノートたちが。
日記に書くこと、書かないこと
誰かに「日記って何を書くの?」と訊かれたことがある。
答えに困った。
何でも、とも言えるし、何も、とも言える。その両方が同時に正しいから、うまく言葉にできなかった。
仕事のことは、あまり書かない。鑑定のこと、出演のこと、企業への顧問業のこと、そういう「Laylaとしての私」を構成するものは、ほとんど日記には登場しない。書いたとしても、それは記録ではなく、感触だ。「今日の鑑定で、あの人の目が途中で変わった」とか、「言葉にする前に泣いてしまった方がいた」とか、そういう、空気みたいなものを書く。
人の名前も書かない。固有名詞は、意図的に外す。それは配慮ではなく、むしろ自衛だ。名前を書くと、その人への感情がピン留めされてしまう。怒りも、愛しさも、失望も、名前と一緒に固定されると、動けなくなる。名前のない感情は、流れる。川みたいに、形を変えながら流れていける。
では何を書くのかといえば、気配を書く。
その日の光の色、風のにおい、誰かの声の温度、食べたものの味よりもそれを食べたときの自分の状態、眠れなかった夜の天井の模様、泣きそうになったのに泣かなかった瞬間、反対に泣くつもりがなかったのに泣いてしまったこと。
そういうものを書く。
数字は書かない。「何時に起きた」「何キロメートル歩いた」そういうことは一切書かない。タスクも書かない。予定も書かない。それは別の手帳の仕事だ。日記は、数えることのできないものだけを置く場所、と決めている。数えられるものは管理できるけれど、数えられないものは管理できない。管理できないものには、違う場所が要る。日記は、そのための場所だ。
「見せない」の意味について
二十年間、一度も誰かに見せていない。
読んでほしいと思ったこともない。正確には、読んでほしいと思いかけた夜が、何度かあった。でもその「読んでほしい」の正体をよく見ると、それは「わかってほしい」ではなくて、「この重さを誰かに確認してほしい」だった。自分が感じていることが、確かに存在するのだということを、証言してほしかった。
でも日記を見せることは、その答えにならない、とわかっていた。
文字を読んでもらっても、その文字の向こう側にある気配まで、人は受け取れない。私が書いた言葉を読んだ誰かは、その言葉から自分なりの何かを感じる。それは私が感じたものとは、別のものだ。翻訳を重ねれば重ねるほど、原文から遠ざかる。日記の言葉は、すでに一度翻訳されている。体の感覚を、文字に変換したものだから。そこからさらに誰かの解釈に翻訳されたら、最初の気配はどこにも残らない。
だから見せない。
それは孤独なことではない、と今は思う。
二十代のころは少し孤独だった。書いて、誰にも渡せなくて、引き出しに仕舞う、その行為の繰り返しが、ときどき空虚に感じた。何のために書いているのだろうと、自問したこともある。
でも三十代に入ったころから、見せないこと自体が、意味を持ち始めた。
誰にも見せないから、私は本当のことを書ける。
これが読まれると思ったら、書けないことがある。きれいに整えたくなる。矛盾を消したくなる。醜い部分を、婉曲に言い換えたくなる。でも誰も読まないとわかっているから、「あの人のことが、嫌いだった」と書ける。「正しいと思っていたことが、今日、間違いだったとわかった」と書ける。「怖い」と書ける。たった二文字で、説明も言い訳も添えずに。
見せないことは、自分に正直でいるための、最低限の条件だった。
言葉は、ペンで書かなければ意味がない
デジタルで書こうとしたことが、一度だけある。
引っ越しの直後で、荷物がまだ半分も開いていなくて、ノートがどの段ボールに入っているかわからなかった夜のことだ。スマートフォンのメモアプリを開いて、そこに書こうとした。指でフリック入力して、三行書いたところで、やめた。
違う、と思った。
体が拒否した。正確には、手が拒否した。
画面を指でなぞっても、何も手元に残らない感じがした。書いた言葉が、どこか遠い場所のサーバーに飛んでいってしまう感じ。手の中に何も残らない感じ。それが、どうしようもなく嫌だった。
ペンで紙に書くとき、インクが繊維に染み込む。その一点一点が、指の圧力と、その日の手の震え方と、気分の揺れを全部含んでいる。強く押せば線が太くなる。力が抜けていれば、かすれる。急いでいれば文字が崩れる。丁寧に書こうとしている日には、それも伝わる。
二十年前のノートを今開くと、そのとき自分がどういう状態だったかが、文字の形からわかる。内容を読む前から、その日の私の温度が、線の濃淡に宿っている。
それはデジタルでは起きない。どれだけ感情を込めて打っても、フォントは変わらない。
タロットの仕事をしていて、いつも思うのだけれど、意味は媒体と切り離せない。カードの質感、紙の手触り、シャッフルするときの音。そういうものが全部合わさって、初めてリーディングが成立する。言葉だけを抜き出しても、半分も伝わらない。
日記も同じだ。内容だけが日記ではない。書く行為そのものが、日記だ。
だからあの夜、段ボールを三箱開けて、ノートを探し出した。見つかったのは深夜の二時だった。疲れていたけれど、それでも書いた。ペンで、紙に。それでようやく、その日が終わった気がした。
過去のノートを開くとき
ほとんど読み返さない。
読み返したくなるときは、決まって、今の自分が迷っているときだ。
去年の秋、ある決断を迫られていた。詳しくは書かないけれど、進む方向の話だった。Atelier Varyをどこへ連れていくか、という話。夜中に引き出しを開けて、七年前のノートを取り出した。そのころの私が、何を考え、何を恐れ、何を大切にしていたかを、確認したかった。
ページを開いたら、見覚えのない自分がそこにいた。
七年前の私は、今の私が忘れていたことをたくさん知っていた。今は当たり前にできることを、あのころの私はひどく恐れていた。でも今の私が迷っていることを、七年前の私はすでに一度通過していた。そして乗り越えていた。自分でも覚えていないのに、乗り越えていた。
その発見は、静かな衝撃だった。
日記というのは、未来の自分への手紙ではない。少なくとも私にとっては。書くときは誰にも宛てていない。ただその夜の自分のために書く。でも結果として、何年かのちに読んだとき、過去の自分が今の自分を助けていることがある。予期せずに。
「あのとき大丈夫だったよ」という報告が、そこにある。
七年前の自分の字は、今より少し細かった。もっと焦っていたのかもしれない。でも書いていることは、意外なほど落ち着いていた。怖い、と書きながら、でも進む、と書いていた。それが誰かに向けた言葉ではなく、完全に自分だけに向けた言葉だったから、ごまかしがなかった。
去年の秋、その一文を読んで、引き出しを閉めた。
答えは、もうあった。
書けない夜のことも、書く
二十年で、一度も書けなかった日がある。
家族の話は、ここでは詳しく書かない。ただ、ある年の春に、ペンを持ったまま一行も書けなかった夜があった。ノートは開いている。ペンは手の中にある。でも、何も出てこなかった。
言葉にしてしまうと、それが現実になる気がして、怖かった。
その夜、私はノートに一文字だけ書いた。「今夜は書けない」と。
それだけ書いて、ノートを閉じた。
でも翌朝、それが一番正直な一行だったと思った。何も書けないほどの夜があったということ。その事実を、日記は受け取ってくれた。書けないことを、書いた。その矛盾ごと、日記は抱えてくれた。
日記というのは、うまく言語化できるときだけのものではない、とそのとき学んだ。言語化できないことの方が、もしかしたら本質に近い。でもそれをそのまま置いておくための器が要る。器だから、中身がなくてもいい。からっぽのまま、そこにあっていい。
タロットの仕事をしていると、言葉にならない感覚を扱うことが多い。カードを前に沈黙する方がいる。泣いているけれど何に泣いているかわからない方がいる。そういうとき、言語化を急がない。そのまま、その状態でいていい、という時間が要る。
日記は、私にとってそういう場所だ。
言葉にならなくてもいい。書けなくてもいい。でもノートを開く。手を置く。その行為だけで、その夜の自分をどこかに記録したことになる。それが私にとっての、二十年間の、日記の意味だった。
うまくいった日も、崩れた日も、何もない凪の日も、全部フラットに受け取ってくれる黒いノート。それが、私にはずっと必要だった。
占星術師として、言葉を扱う仕事について
言葉を仕事にしている。
タロット鑑定でも、西洋占星術でも、ライターとしても、言葉を使って何かを伝えることを、十五年以上続けてきた。地上波のテレビで話したこともある。雑誌の連載を持ったこともある。企業のアドバイザーとして会議室で言葉を選んだこともある。
そのたびに思う。仕事で使う言葉は、必ず「誰かのため」に選ぶ。相手に届くように、受け取りやすい形に整える。それは誠実さだと思っているし、その整え方に、私のプロとしての矜持がある。
でも、整えた言葉は、私の内側にある何かとは、少し違う。
翻訳のプロセスがある。体の中にある、まだ名前のない感覚を、相手が受け取れる言葉に変換する。その変換は、正確であろうとするけれど、完全に正確にはなれない。そこには必ず、取りこぼしがある。
日記は、その取りこぼしの場所だ。
翻訳する前の、言語になりかけの何かを、そのまま置いておく場所。誰かに渡すために形を整える前の、もとの状態。粘土でいえば、まだ何の形にもなっていない塊。
仕事で言葉を使えば使うほど、日記の必要性が増していく、と感じている。整えることと、整えないことの、両方が要る。どちらかだけでは、どこかが歪む。
占星術師として、私は人の「言葉にできないもの」を扱う。星の配置から、その人が意識していない何かを読み取ろうとする。そのためには、私自身の中にも、整えられていないものを残しておく必要がある。磨きすぎた鏡には、何も映らない。くもりが少しあるから、余分なものが映らずに、本質だけが浮かぶことがある。
日記は、私の内側のくもりを、保つための装置なのかもしれない。
AIに日記を書かせるという時代について
最近、ある会話の中でこんな話を聞いた。
AIに「今日の出来事を話すと、日記の形に整えてくれる」サービスがある、と。花の名前をつけたAIが、その日あったことを聞いて、文章にしてくれる。それを日記として保存する人がいる、と。
最初に聞いたとき、拒否感があった。でも少し考えて、その拒否感の中身を解きほぐした。
拒否感の正体は、「日記というものへの侵犯」ではなかった。そうではなくて、「書くことで何かが起きる」という体験が、そこには生まれないのではないか、という感覚だった。
AIに整えてもらった文章は、きれいだと思う。でもきれいに整えられた言葉は、すでに翻訳されている。私が書いた言葉と、AIが整えた言葉は、内容が同じでも、機能が違う。
書く行為の中には、書きながら考える過程がある。書いていて、初めて気づくことがある。「あ、私はこれに怒っていたのか」と、書き終わってから発見することがある。その発見は、話した内容を整理された文章として受け取っても、生まれない。
書くことは、考えることと、切り離せない。
言語化のプロセス自体が、内省だ。なめらかに整えられた結果だけを受け取っても、そこに至るプロセスの体験がない。プロセスの体験の中にこそ、価値があると私は思っている。
もちろん、人それぞれの使い方があっていい。書くことが苦手な人に、記録の入り口として機能するならば、それはそれで意味がある。
ただ私には、できない。
ペンを持って、紙に向かって、うまく書けなくてもいいから自分で書く。その不完全さごと、ノートに刻みたい。整えてもらった言葉の美しさより、かすれた自分の字の、不格好な本音の方が、私には要る。
二十年後の引き出しに、何を残したいか
二十年、続けてきた。
あと二十年続けたら、四十三冊になる。
その引き出しを、私は誰かに渡すつもりはない。死んだら燃やしてほしい、と決めている。誰かの目に触れる必要はない。触れさせたくない、というより、その必要がない、という感覚だ。
では何のために書き続けるのか。
その問いに、昔はうまく答えられなかった。今は少しだけ、答えられる気がする。
書くことは、生きることの証拠を残すためではない。少なくとも、私にとっては。
書くことは、その夜その夜を、きちんと終わらせるためだ。
眠る前にノートを開いて、その日に感じたことを書く。うまく書けなくてもいい。一行でもいい。書いて、ノートを閉じる。そうすることで、その日が完結する。消化されないまま翌日に持ち越さないための、ひとつの儀式。
儀式というのは、繰り返すことで意味を持つ。一回では儀式にならない。二十年続けることで、ようやくそれは私の体に染み込んで、書かない夜の方が不自然になる。歯を磨かないで眠るような、そわそわした感じがある。
先日、鑑定に来た方が言っていた。「毎日が流れていって、何も残らない気がする」と。
その言葉を聞きながら、引き出しの中の二十三冊を思った。あそこには、二十年分の夜が、かすれた字で残っている。流れていったはずの時間が、線の濃淡の中に閉じ込められている。誰も読まない。でも確かに、ある。
あることが、大事なのだと思う。
見せなくていい。読んでもらわなくていい。誰かに確認してもらわなくていい。
ただ、そこにある。
二十年分のかすれた字が、引き出しの奥で、静かに息をしている。それだけで、十分だった、と今は思う。それだけで、私はずっと、書き続けてきた。
今夜もペンを持つ
これを書き終えて、夜になったら、また引き出しを開ける。
黒い表紙のノートを出して、今日のことを書く。何を書くかは、まだ決めていない。決めなくていい。ペンを紙に当てた瞬間に、出てくるものを書く。それが今日の私の、一番正直なものだから。
二十年前、十二月の夜に書いた「今日、誰とも話さなかった」という一文が、今の私をここまで連れてきた、とは思っていない。そんな大げさな話ではない。ただ、あの一文がなければ、今夜の一文もなかっただろう、とは思う。
日記を書いている、と人に言うと、「すごいね」と言われることがある。続けることが、すごいのかもしれない。でも私には、続けることをやめる理由が思いつかない。それが答えだと思っている。
好きだから続けているのか、必要だから続けているのか、習慣だから続けているのか、正直なところ自分でも区別がつかない。たぶん、その三つが全部混ざり合っている。
ただ、今夜も書く。明日の夜も書く。
誰にも見せない言葉を、誰にも渡さない場所に積み重ねていく。
それがどういう意味を持つのかは、二十年後の私が、引き出しを開けたときに、初めてわかるのかもしれない。
もしかしたら、わからないままかもしれない。
でもそれでいい、と思えることそのものが、二十年かけて書いてきたことの、答えなのだろうか。
書くことで、自分の輪郭が戻ってくる
忙しい時期というのは、決まって自分の輪郭が曖昧になる。
鑑定が立て込んで、取材が入って、原稿の締め切りが重なって、三週間ほど他の人の言葉の中だけで生きていたような時期があった。相談者の悩みを聞き、インタビュアーの質問に答え、編集者の意図に沿って言葉を選ぶ。全部、誰かのための言葉だ。全部、外に向かって出ていく言葉だ。
そういう時期のある夜、ふと鏡の前に立ったとき、自分の顔が他人の顔みたいに見えた。正確には、見慣れているはずなのに、なぜかその顔を確認するのに少し時間がかかった。疲れていたせいもあるだろう。でも、あの感覚はそれだけではなかった、と今でも思う。
その夜、久しぶりにゆっくり日記を書いた。
一時間かけて、四ページ書いた。何を書いたかというと、その三週間で感じたことの欠片を、順不同でただ並べていった。誰かの涙の話、夕方の空の色、タクシーの中で急に眠くなった瞬間、好きな音楽を聴けていないことへの小さな飢え感、それから、漠然とした怖さ。何が怖いのかわからないけれど、何かが怖い、という感覚。
書き終えたとき、鏡をもう一度見た。さっきと同じ顔なのに、今度は見慣れた自分の顔だった。
書くことで、内側に何かが戻ってくる。外に向けて出しすぎたものが、補充される感じ。血液が巡るように、内省が巡る。日記はその循環装置だと、あのとき思った。外に出す仕事を続けるためにこそ、誰にも渡さない言葉を溜める場所が要る。二つは対立しない。互いに支え合っている。
ノートの選び方、ペンの選び方
黒い表紙のノートと決めているのには、理由がある。
最初の一冊が黒だったから、というのが出発点だ。あのコンビニで手に取ったノートがたまたま黒かった。でも二冊目を買うとき、意識して同じ色を選んだ。引き出しに並べたとき、全部が同じ表紙をしている方がいい、と直感した。色も柄も違うノートが混在していると、それぞれのノートに「個性」が生まれる。個性が生まれると、書く前からそのノートへの印象ができてしまう。「このノートには大事なことを書こう」とか、「この柄のノートは軽い日常的なことを書く場所」とか、そういう無意識の序列が生まれる。
日記に序列はいらない。凪の日も嵐の夜も、同じ黒い表紙のノートが受け取る。どんな夜も、等価に扱われる。それが黒い表紙を選び続ける理由だ。
ペンは、中字のボールペンを使う。万年筆を試した時期もあった。書き心地は好きだったけれど、インクが滲むのが気になった。滲みの美しさより、くっきりとした線の方が、自分の書いたものという感触が強い。消えないことが大事だ。鉛筆では書けない。消せてしまうから。書いたことを消す選択肢があると、書く瞬間に無意識に検閲が入る。消せないペンで書くから、書いた言葉に責任を持てる。自分に対しての責任だけれど、それが要る。
文具屋の棚の前で、三十分迷ったことがある。新しいノートを買う日は、少し特別だ。今年の私は、どんな夜をこのノートに渡すのだろう、と思いながら、レジに持っていく。それもまた、小さな儀式だ。
「秘密」と「孤独」は、違う
誰にも見せない日記を持っている、という話をすると、「孤独じゃない?」と言われることがある。
その言葉の裏には、「共有されていないものは孤独だ」という前提がある気がする。でも私には、その前提がよくわからない。
秘密と孤独は、別のものだ。
孤独というのは、渡したいのに渡せない状態だと思う。届けたいのに届かない、つながりたいのにつながれない、その断絶の感覚が孤独だ。でも日記は、最初から渡すつもりがない。渡したい相手がいないのではなく、渡すという概念の外にある。
植物を育てているとき、誰かに見せるために育てているわけではない。窓辺に置いた鉢の前に座って、新しい葉が出ていることに気づく瞬間。その喜びは、誰かに報告しなくても、完結している。報告すれば共有できるけれど、報告しないことで喜びが減るわけではない。
日記は、私の中の植物みたいなものだ。
誰にも見せなくても、そこで何かが育っている。育っていることを確認するために書く。育てるために書く。その育ちは、私だけのものでいい。共有しないことで損なわれるものは、何もない。
ただ、一つだけ正直に言えば、この二十年で日記の存在を話した人が、一人だけいる。内容を話したわけではない。「日記をつけている」というその事実だけを。その人は「見せて」とは言わなかった。「そうなんだ」とだけ言って、次の話題に移った。
その反応が、私にはちょうどよかった。踏み込まない距離感が、日記という秘密に対してふさわしかった。踏み込まないことが、尊重だと知っている人が、世界に一人はいるということが、静かに嬉しかった。
夜の机の前でだけ、私は私に戻る
Laylaという名前で仕事をしている。
テレビや雑誌の中でも、鑑定の場でも、この名前で話し、この名前で書く。それは偽名ではない。本名とは別の名前だけれど、Laylaは確かに私だ。でも、Laylaは常にどこかで人に向いている。鑑定師として、書き手として、表現者として、誰かの前にいる私がLaylaだ。
夜、机の前に座って、黒いノートを開くとき。
その瞬間だけ、Laylaではない私がいる気がする。名前のない、役割のない、肩書きのない、ただその夜に疲れた一人の人間が、ペンを持っている。
その感覚が、たまらなく必要だ。
役割を纏い続けることは、想像以上に体力を使う。Laylaである時間が長くなるほど、名前のない自分に戻れる場所が要る。舞台に立ち続ける俳優が、楽屋を必要とするように。楽屋では、役から降りていい。衣装を脱いでいい。台詞を言わなくていい。
日記は、私の楽屋だ。
そこでは、うまく話さなくていい。整えなくていい。矛盾していていい。感情の名前を正確につけなくていい。「よくわからないけどしんどい」という七文字で、一行が完結してもいい。
それが許される場所を持っていることが、外に出続けるための、隠れた条件だったと思う。二十年間、Laylaとして仕事ができてきたのは、Laylaではない私が書き続けてきた夜があったからかもしれない。因果を証明する方法はないけれど、そんな気が、静かにしている。
今夜も机の前に座る。ノートを開く。ペンを持つ。
その三つの動作の間に、私は少しずつ、自分に戻っていく。引き出しの奥で黒いノートが待っていることを、私はもうずっと前から知っていて、だからこそ今日も、ここまで歩いてこられた。
