香水を1本にして、世界の見え方が変わった。

ある朝、引き出しを開けたら香水が23本あった。23本。自分でも笑ってしまったけれど、笑いながらも胃のあたりがざわついた。「わたし、いつからこんなに持っていたんだろう」と思って、全部並べてみたんです。ドレッサーの上に一列に並んだ瓶たちは、どれも美しくて、どれも中途半端に減っていて、どれもわたしの「迷い」の証拠みたいだった。あの光景が、すべての始まりだった。

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23本の瓶が語っていたこと

並べてみると、改めてわかることがある。ひとつひとつのフラコンはほんとうに美しい。六角形のカット瓶、乳白色のガラス、金色のキャップ、ラベルに書かれたフランス語のテキスト。インテリアとして飾っておきたいものもあるくらいで、「香水収集」という趣味として成立しなくもない。でもわたしは、コレクターじゃなかった。

問題はね、全部「使っている」つもりだったということ。月曜日はこれ、仕事のときはあれ、デートならこっち、雨の日にはこの重めの香りが合う、夏は柑橘系で冬はウードで……と、頭の中で緻密なローテーションを組んでいるようなふりをしていた。でも実際には、毎朝引き出しの前で5分間フリーズして、結局「今日はどれにしようかな」という漠然とした選択をして、あいまいな気分のままドアを出ていた。

選択肢が多いほど自由になれると、ずっと信じていた。でも23本の香水の前で毎朝固まるわたしは、自由だったか? 正直に言うと、全然自由じゃなかった。むしろ選択という名の義務に縛られていた。「どれを選ぶか」を考えることに、小さいけれど確実なエネルギーを毎日消耗していたんです。

タロット占い師として長年仕事をしてきて、何千人もの人の選択を見てきたわたしが、自分の香水ひとつ選べないでいた。その滑稽さに気づいたとき、ちょっと本気で考えようと思った。これは香水の話じゃなくて、わたしの「選ぶ力」の話だ、と。

「全部好き」の呪縛

ヘアメイクアーティストとしての仕事では、クライアントに「似合うものを絞る」という作業を常にしている。10個のアイシャドウを試して、最終的に「これだ」と言えるものを見つけるプロセス。そこに迷いはなくて、むしろ絞ることへの快感がある。なのにどうして、自分の香水はこんなに増え続けたんだろう。

答えはシンプルで、「全部好き」という感情を「全部必要」にすり替えていたからだと思う。好きなものを持つ権利はある。でも「好き」と「必要」はイコールじゃない。香水を買うとき、わたしは「これが必要だから買う」とは思っていない。「これが好きだから買う」と思って買う。それ自体は悪くない。問題は、「好き」なものが積み重なって「必要」という顔をして居座り続けることだ。

わたしたちって、手放すことに対して妙に罪悪感を感じるようにできている。特に「好きで買ったもの」はそうで、手放すことが過去の自分を否定するような、あの好きだった瞬間を裏切るような感覚になる。香水は特にそれが強くて、「あのとき旅行先で見つけた」「誰かにもらった」「ずっと探していたやつ」という物語がついているから、なおさら手放しにくい。

でも気づいた。物語は香水の瓶の中にあるんじゃなくて、わたしの記憶の中にある。瓶を手放しても、記憶は消えない。旅の思い出は旅の思い出のままで、贈ってくれた人への感謝は感謝のままで、ずっと残る。瓶という「器」に物語を閉じ込めて、そこから目が離せなくなっていたのは、わたし自身の執着だった。

「全部好き」は、一見豊かさのように見える。でも選べないということは、実は「何が一番好きかわかっていない」ということの裏返しでもある。そこまで考えたとき、少し怖くなった。わたしは自分のことを、ちゃんとわかっているか?

1本を決める、という実験

だから実験することにした。「1本だけ残す」という、自分への小さな挑戦。期間は決めなかった。ルールはシンプルで、「選んだ1本以外は使わない」ただそれだけ。使わないものは別の場所にまとめて、引き出しからは完全に撤去する。

問題は、その「1本」を選ぶこと。23本を前に、今度は「残す1本」を選ぶために固まってしまったら本末転倒だ。だからわたしは、あまり頭で考えないようにした。「もし無人島に1本だけ持って行けるとしたら」という問いを自分に投げて、直感で選んだ。

選んだのは、少し意外な1本だった。有名ブランドでも限定品でもなく、何年も前にパリの小さなセレクトショップで買った、ニッチフレグランスの香水。ムスクとサンダルウッドとかすかなアイリスが混ざった、静かで落ち着きのある香り。派手さはないけれど、嗅いだ瞬間に「あ、わたしだ」と思えるやつ。そういう感覚、あるでしょう? 鏡を見て「わたしだ」と思う感覚に似た、香りとの一致感。

その1本を洗面台の上に置いて、残り22本はクローゼットの奥に移動した。引き出しを開けたら何もない。洗面台に1本だけある。たったそれだけの変化なのに、翌朝がまるで違った。

迷わなかった。それだけのことなんだけど、その「迷わない」ということの清々しさが想像以上で、朝の支度が終わった後、しばらく洗面台の前に立ったまま、妙な感動を覚えていた。これだ、と思った。これが「決める」ということの軽さだ、と。

香りが「わたし」を教えてくれる

1本の香水を毎日使い続けると、不思議なことが起きる。香りが、どんどん自分のものになっていく。最初の1週間は「この香水をつけている自分」という感覚があった。でも2週間、3週間と続けると、もはや「この香水をつけている」という意識がなくなって、ただ「わたし」がそこにいる感じになる。

香水って、皮膚の温度や体臭と混ざって変化するでしょう。同じ香水でも人によって微妙に違う香りになる。毎日同じものを使い続けると、その「混ざり方」が安定してきて、まるでわたしという人間の固有の匂いみたいになってくる。これが、かなり気持ちいい。

ある日の夕方、打ち合わせを終えてカフェで一人になったとき、ふと袖口をめくってみたら、朝つけた香りがまだそこにいた。薄くなっているけれど、ちゃんとそこにある。皮膚に溶け込んで、一日わたしと一緒にいてくれた、という感じ。その瞬間、香水というものの本質を初めてちゃんと理解した気がした。香水は「かける」ものじゃなくて、「なじむ」ものなんだ、と。

複数の香水をとっかえひっかえ使っていたときには、こういう感覚がまったくなかった。昨日はあの香り、今日はこの香り、だと、どれも「自分のもの」にならないまま揮発して消えていく。試香紙で試した香りがそのまま終わっていく感じ。もったいない使い方をずっとしていたんだな、と思った。

それと同時に、香りを通じて自分の状態がわかるようにもなってきた。同じ香水なのに、「今日はなんか違う」と思う日がある。体の状態が違うのか、メンタルが違うのか、はっきりはわからないけれど、香りの「ずれ」に気づける感度が上がる。それは占いで言う「感受性を開く」という作業に、すごく似ていた。

「選ばない自由」が生み出すもの

この実験を始めてから1ヶ月が経ったころ、おもしろいことに気づいた。朝、香水を選ぶのに使っていた「考える時間」が消えて、その分の意識がどこかに行っているはずなのに、「暇」にならないんです。むしろ、他のことをよく考えるようになった。

心理学で「決断疲れ(decision fatigue)」という概念がある。人間が一日に下せる決断の質は有限で、小さな選択を繰り返すほど、大事な判断力が劣化していくという話。スティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着ていたのも、マーク・ザッカーバーグがグレーのTシャツだけ持っているのも、その原理を応用しているわけで、わたしは香水でそれを体感した。

「選ばない」という決断が、逆に思考を自由にする。これが実感としてわかると、美容全体の見方が変わってくる。わたしは職業柄、コスメもスキンケアも山ほど持っている。でも、「毎日使うもの」と「必要に応じて使うもの」の境界線をもっとはっきりさせていいんじゃないか、と思うようになった。

香水の実験をしながら、メイクポーチの中身も見直した。「毎朝使う5アイテム」を決めて、それ以外は引き出しの中へ。朝の支度時間が、それまでの半分以下になった。時間が生まれたんじゃなくて、正確には「迷いが消えた」だけなんだけど、体感としては時間が増えたのと同じ感覚がある。

そうして生まれた「隙間」に何が入ってきたかというと、考えること、感じること、書くこと。タロットリーディングのセッション中に、より深いところまで読めるようになった感覚もあった。朝から小さい選択を繰り返して疲弊した状態で誰かのカードを読むのと、静かに整った状態で読むのとでは、質が全然違う。香水1本の実験が、仕事の質にまで影響してきたのには、自分でも驚いた。

「わたしらしさ」と香りの関係

西洋占星術では、金星が美意識や感覚的な快楽、自分を表現するスタイルを司る。香水はまさに金星的なものだと思う。視覚でも聴覚でもなく、最も原始的な感覚である嗅覚に訴えかけて、その人の雰囲気を作る。言葉なしに「わたしはこういう人間です」と伝えるコミュニケーション手段でもある。

だとしたら、毎日違う香りをまとうということは、毎日違う「わたし」を演じているということにもなりうる。状況に合わせて香りを変えることには意味がある。仕事用、プライベート用、特別な日用、という使い分けも理解できる。でも23本は、多すぎた。23通りのわたしを管理しようとしていたわけで、それは「自分らしさ」の確立というより、「自分らしさ」の分散だった。

1本に絞ってから2ヶ月が経ったとき、友人に「最近なんか変わった? 雰囲気が落ち着いた気がする」と言われた。その日わたしは特別なことは何もしていなかった。同じ服、同じメイク、いつもと変わらない。でも「落ち着いた」という印象を与えていた。きっと迷いが消えたことが、外に出ていたんだと思う。

ヘアメイクの仕事でも感じることだけど、「似合う」の最大の条件は「自分がしっくり来ているかどうか」なんです。どんなに技術的に完璧なメイクでも、本人が「なんか違う」と思いながら過ごしていると、それは顔に出る。目の落ち着きのなさとか、ふとした表情のよそよそしさとか。逆に、「これだ」という感覚で整えたときの人は、多少崩れていても美しい。その「しっくり感」を、1本の香水が全身に纏わせてくれる。そういうことなんだと思う。

手放すことは、失うことじゃない

実験から3ヶ月後、クローゼットの奥に移した22本のことを考えた。手放す準備ができていると気づいた。でも「捨てる」という言葉がしっくりこなかったから、「譲る」という形をとった。友人に「香水いる人いる?」と聞いたら、あっという間に10本がもらわれていった。

実際に手渡す場面が印象的だった。友人がひとつひとつの瓶を手に取って、蓋を開けて、顔を近づけて香りを嗅ぐ。「あ、これいい」と言いながら目を細める。その表情を見て、わたしは心の底から「よかった」と思った。わたしの引き出しの奥で眠っていた香水が、ちゃんと誰かの肌で花を開く。そのほうがずっといい。

残り12本は、少し時間をかけた。旅先で買ったもの、特別な記憶のあるもの、まだ愛着が残っているもの。それらは急がず、自分のペースで考えることにした。手放すことに期限はない。ただ「使わないものを大切にしているふり」をやめること、それだけが重要で、処分の速度は関係ない。

「物を減らす」と聞くと、なんとなく質素になる、貧しくなる、という印象を持つ人もいる。でも実際は逆だった。1本の香水との関係が深くなると、その1本がすごく豊かに感じる。「所有している本数」じゃなくて「使っている深さ」で、豊かさは決まる。そういうことを、香水が教えてくれた。

これはすべてのものに言えることだと、今は思っている。洋服も本もコスメも、「たくさん持っている」より「深く使っている」ほうが、ずっとリッチな感覚がある。数の豊かさより、質の豊かさ。そのことに、40代に入ってようやく体で納得できた気がする。

占い師として見えてくるもの

タロットのセッションで、クライアントによく言うことがある。「選択肢を増やすことより、何を選びたいかを知ることのほうが大切です」と。言いながら、自分の香水の引き出しを思い出して内心苦笑いしていたこともあったけれど、今はもう苦笑いしなくていい。

占いという仕事は、突き詰めると「その人が自分の内側を見るお手伝い」をすることだと思っている。カードが何かを教えてくれるんじゃなくて、カードを通じてその人が自分自身に気づく。わたしが香水1本の実験で学んだことも、同じ構造だった。香水が何かを変えたんじゃなくて、香水を通じてわたし自身の「迷い」や「執着」や「本当の好み」が見えてきた。

自分を知るための道具は、なんでもいい。タロットでも、香水でも、洋服でも、食事でも。「これを選んでいる自分」を観察することで、「わたしはこういう人間だ」というデータが積み上がっていく。その積み上がりが、自己理解になる。

香水を1本にしてから、わたしは毎朝少し早く目覚めるようになった。気がついたら、というくらいの自然な変化。朝の時間がゆったりして、引き出しの前で固まらない分、起きた後の時間が静かで広い。その静かさの中で、今日何をすべきかをちゃんと考えられる。占い師として、一日の最初にそういう「静けさ」があることの価値は、計り知れない。

セッション前に少し深呼吸をすると、自分の香りが鼻に届く。それがいい意味での「スイッチ」になっている。「これがわたしだ」という確認。それが、今日の仕事への入り口になる。たった1本の香水が、そういうアンカーになってくれている。

美容の哲学として語りたいこと

美容の世界は、どこまでも「もっと」を求めてくる。新しいコスメ、新しいスキンケア、新しいフレグランス、新しいトレンド。その「もっと」の圧力に乗り続けることを、美容への情熱と呼んでいた時期がわたしにもあった。でも本当の意味での美容の哲学って、「引き算」の中にあると今は思う。

ヘアメイクアーティストとして仕事をしていると、「引き算のメイク」というコンセプトを大切にしている。余計なものを足し続けるより、本当に必要なものを見極めて、あとは何もしない勇気。そういうメイクをされた方の顔が、一番美しい。艶があって、自然で、その人らしい。これ、香水にも同じことが言える。

「わたしらしい」というのは、特別なことじゃない。毎日同じものを選び続けることで、その選択がわたしになっていく。1本の香水を使い続けることで、その香りがわたしの一部になっていく。美容とは「なりたい自分に変身する」ことじゃなくて、「もともとある自分を際立たせる」ことだと思っているから、その哲学に香水が完全に一致した。

Atelier Varyでお客様と向き合うとき、わたしは必ず「何が好きですか?」より「何があると安心しますか?」を聞く。好きなものは変わる。でも「安心」はその人の核心に近い。香水で言うと、23本の中でわたしが「安心」を感じたのは、パリで買ったあの1本だけだった。「好き」なものはたくさんあったけれど、「安心」できるのは1本だった。

その違いを知っているか知らないかで、選択の質がまったく変わってくる。好きと安心の違い、欲しいと必要の違い、持つと使うの違い。美容は、そういう自己認識の練習場でもある。毎日の小さな選択の積み重ねが、最終的には「この人はどういう人か」を作っていくんだから。

世界の見え方が変わった、という話

タイトルに「世界の見え方が変わった」と書いた。これは大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、本当のことだから書く。香水を1本にすることで変わったのは、香水のことだけじゃなかった。

まず、朝が変わった。洗面台の前でぼんやり迷う時間が消えて、1本の香水をつけるという小さな儀式が始まった。その儀式の清潔さが、一日の始まりを整えてくれる。整った始まりは、整った一日につながる。朝の混乱は、思っている以上に一日に影響している。

次に、街での嗅覚が鋭くなった。毎日複数の香りをまとっていると、感覚がそれに慣れてしまって、外の香りへの感受性が鈍くなる。でも1本の「自分の香り」が定まると、それ以外の香りへのアンテナが立ってくる。コーヒーショップの前を通ったときの香り、雨上がりのアスファルトの匂い、友人の家の玄関の空気。そういう細部がくっきりしてきた。感覚が洗練される、という感じ。

それから、物への態度が変わった。香水で実感したことが、他のものへの見方に影響して、「本当に使うものだけを持つ」という感覚が生活全体に広がっていった。クローゼットも本棚もデスクの上も、少しずつ軽くなった。軽くなることで、残っているものへの愛着が深まった。

そして、自分への信頼が少し戻った。「わたしはこれを選んだ」という決断が、毎日積み重なっていく。小さい決断だけれど、揺るがない決断。それが積み上がると、「わたしは自分の選択を信じていい」という感覚につながる。その感覚は、タロットリーディングにも、ライティングにも、ヘアメイクの仕事にも、確実に滲み出てくる。

23本の香水があった引き出しには、今はハンカチが入っている。洗面台の上には1本の瓶。毎朝それをつけて、鏡を見て、「よし」と思って家を出る。たったそれだけのことなんだけど、その「よし」の重さが、以前とまるで違う。

何かを手放したとき、失ったのではなくて、その分だけ「わたし」が濃くなったのだ、と気づいているか。

香りの記憶と、時間の感覚

香りは記憶と直結している、とよく言われる。プルーストの「失われた時を求めて」で、マドレーヌの香りが幼少期の記憶を呼び起こす場面は有名だけれど、あれは文学的な誇張じゃなくて、嗅覚が他の感覚より直接的に脳の記憶中枢へアクセスするという、神経科学的な事実を描いている。香りは理性を飛び越えて、過去に連れて行く。

1本の香水を使い続けていると、これが逆向きにも働き始める。今の自分に、未来の記憶が刷り込まれていく感覚。今日という日がこの香りとともに記録されて、いつかずっと先に、この香りを嗅いだとき、今日のことが蘇ってくる。そう思うと、1本の香水を選ぶ行為が、単なる「今日の気分」を超えた、時間軸を持った選択になってくる。

先日、古い荷物を整理していたら、10年以上前に使い切った香水の空き瓶が出てきた。蓋を開けたら、まだかすかに香りが残っていた。その瞬間、30代前半のわたしが鮮明に蘇った。その頃通っていたカフェのざわめき、書いていた原稿の内容、付き合っていた人との会話のトーン、全部が一気に戻ってきた。たった一嗅ぎで、10年が消えた。

その体験があったから、今使っている1本への意識が変わった。この香りは今のわたしを記録している。今日の仕事の充実感も、悩んでいることも、静かな朝の光も、全部この香りの中に混ざり込んでいる。それは記録であり、積み重ねであり、わたしという人間の時間の堆積だ。複数の香りをとっかえひっかえしていては、この「記録」が分散して、どこにも積み上がらない。1本を続けることで、時間が濃縮される。そういう豊かさがある。

ライターとしての仕事で、インタビューをすることがある。その場でメモをとりながら、相手の言葉だけじゃなくて、その場の空気や匂いも記録しようとする習慣がいつの間にかついた。その日の相手の香水、コーヒーの蒸気、窓から入ってくる風の匂い。そういう感覚的な記録が、後で文章を書くときに場面を立ち上がらせてくれる。嗅覚に敏感でいることが、書く仕事に直接つながっている。

「これでいい」と「これがいい」の間

1本に絞るという決断をした後、最初のうちはどこかに「妥協した」という感覚があった。23本の中から1本を選ぶということは、22本を諦めるということでもあって、その「諦め」の感触がしばらく残っていた。「これでいい」という消去法の選択をしたんじゃないか、と自問することもあった。

でも1ヶ月、2ヶ月と使い続けるうちに、その感覚がいつの間にか「これがいい」に変わっていた。能動的な選択として、腑に落ちていた。何かを諦めたというより、何かを決めた、という感覚。この違いはすごく大きくて、「諦め」は消耗するけれど、「決める」はエネルギーを生む。

占いのセッションで、選択に迷っているクライアントに向き合うことは多い。仕事を変えるか変えないか、関係を続けるか終わらせるか、引っ越すか留まるか。どちらが正解か、という問いに答えを出そうとする人がほとんどだけれど、わたしがいつも伝えるのは「どちらを選んでも、選んだ後にどう生きるかで答えは変わります」ということ。選択の内容より、選択した後の向き合い方のほうが、結果を決める。

香水の選択も、まったく同じだった。どの香水を選ぶかより、選んだ後にそれとどう向き合うか。1本に決めて、毎日それを使って、その香りを「自分のもの」にしていく過程の中に、本当の選択の意味があった。決断は、決めた瞬間に完成するんじゃなくて、決めた後の時間の中で育っていくものだ。

「これがいい」という確信は、最初から与えられるものじゃない。使い続ける中で、じわじわと育てるものだ。そのことを知ってから、迷っている時間がもったいなく感じるようになった。どれにしようか考える時間があるなら、まず決めて、使い始めて、その中で答えを見つけたほうがずっと早い。行動の中にしか、確信は生まれない。

シンプルであることの、強度

この実験を通じて、シンプルさというものへの見方が根本から変わった。シンプルというのは「少ない」ということじゃない。「本質だけが残っている」ということだと思うようになった。23本から1本にしたのは、22本を捨てたというより、22本の「迷い」を捨てて、1本の「核心」を残した、という感覚に近い。

ファッションの世界に「カプセルワードローブ」という考え方がある。少数の、でも質の高い、互いに合わせやすいアイテムだけでクローゼットを構成する。その哲学の根っこにあるのは、「選ぶためのエネルギーを節約して、生きるためのエネルギーに使う」という思想だと思う。香水1本の実験は、わたしにとってのカプセルフレグランスだった。

シンプルであることには、強度がある。揺れない、ぶれない、流されない。複雑なものは外部からの影響を受けやすいけれど、シンプルに絞られたものは、核が強い。毎日同じ香りをつけているわたしは、「今日の気分」や「今日のトレンド」に左右されない基点を持っている。そのことが、意外なほど精神的な安定感につながっている。

ある夜、締め切り前で少し追い詰められた気分のまま、深夜に原稿を書いていた。ふと手首を鼻に近づけたら、朝つけた香りがまだそこにいた。かなり薄くなっていたけれど、確かにそこにあった。その香りに触れた瞬間、「わたしはわたしだ」という、言葉にならない確認ができた。焦りや不安じゃなくて、わたし自身に戻れる感覚。1本の香水がアンカーになって、嵐の中でもわたしを繋ぎとめてくれていた。

美容というのは、外見を整えることだと長い間思っていた。でも今は、美容とは「わたし自身に戻るための実践」だと思っている。忙しくて、疲れて、いろんな役割を演じて、気づいたら自分がどこにいるかわからなくなる。そういうとき、「わたしの香り」があることは、灯台みたいな役割を果たす。どこにいても、これをつければここに戻れる。その確かさが、シンプルさの強度だ。

引き出しに23本並んでいたころのわたしは、たくさんの灯台を持っていると思っていた。でも実際には、どの灯台も光が弱くて、どれに向かって泳げばいいかわからない状態だった。1本になって初めて、はっきりした光が見えた。迷子にならずに済む場所ができた。それが、香水を1本にして世界の見え方が変わった、ということの、いちばん正直な答えだと思っている。

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