スマホ通知を、全部切ってみた。
LINEも、メールも、アプリも、SNSも、ニュースも。残したのは電話と、予約管理アプリのリマインダーだけ。
半年、続けてみた感想を、書く。
最初の3日は、禁断症状だった。
通知が鳴らない。それだけのことなのに、落ち着かない。
気がつくと、スマホを手に取っている。ホーム画面に赤い数字が出ていないか、確認している。何もない。確認している自分が、ちょっと恥ずかしい。
「誰か自分を呼んでいないか」という不安。
これが、こんなに身体に染み付いていたとは、思わなかった。
人間は、放っておくと「誰かから必要とされている感じ」を常に欲しがる生き物らしい。通知は、その飢えを満たす、一番手軽な餌だったのだと気づいた。
1週間で、世界の音量が変わった。
1週間経つと、スマホを見る回数が、劇的に減る。
見ても、何も新しい情報がないから、すぐ置く。置くスピードが、以前の3倍くらいになる。
それと同時に、周りの音が、聞こえはじめる。
冷蔵庫のハミング。
窓の外の鳥の声。
近所の子どもの笑い声。
自分の呼吸の音。
通知の音で常に埋められていた「音の余白」が、元からそこにあった音で、埋まるようになる。
世界は、ずっと、こんなに鳴っていた。
それに、気づいていなかっただけ。
3週間で、仕事の効率が、狂うほど上がった。
これは、ほんとう。
3週間目くらいから、原稿を書くスピードが、別人のように上がった。
以前は、1時間集中したつもりが、実際は「10分書いて通知見て、また10分書いて通知見て」の繰り返し。脳は、ずっと瞬間的に複数のことを考えていて、一つの仕事に沈めない状態。
通知を切ってからは、1時間、本当に1時間、原稿に沈める。
違う脳を、使っているような感覚。
同じ仕事量を半分の時間で終わらせられる。余った時間で、本を読む、お茶を淹れる、散歩をする。生活の厚みが、明らかに変わった。
人との関係は、少しだけ、ぎこちなくなる。
ただし、良いことばかりではない。
返事は、確実に遅くなる。
スマホを意図的に見る時間にしかメッセージを読まないので、朝、昼、夜の3回くらい。そのタイミング以外は、相手が何を送っていても、気づかない。
「即レスの文化」に慣れている相手は、少し困惑する。
「どうしたの?」「まだ見てない?」と何度か言われた。ごめんね、通知切ってるんだ、と説明すると、大半の人は「へえ」と言って納得してくれる。中には、「なんで即返せないの?」と不機嫌になる人もいる。
これは、むしろ、ありがたかった。
私のペースで返事をすることに機嫌を損ねる関係性は、たぶん、最初から無理をしていた関係性。
通知を切ると、人間関係の「濃度」が、自然に仕分けされる。
本当に大切な連絡は、電話で来る。
半年やってみて分かったこと。
本当に大切な連絡は、電話で来る。
親戚の訃報、仕事の急な変更、家族の体調悪化。全部、電話で来た。LINEやメールで緊急の連絡が来ることは、ほとんどなかった。
逆に、LINEやメールで来るものは、ほとんどが、急ぎじゃない。
「今日の晩ご飯、どこに行く?」
「あの件、どうなってる?」
「ちょっと聞きたいんだけど」
3時間後に返事をしても、なんの支障もない内容ばかり。
でも、通知がオンだと、これら全てに即座に反応しようとしてしまう。脳がずっと「緊急モード」で稼働している。
通知を切ると、「緊急」と「急がない」が、適正に仕分けされる。
SNSを、見なくなった。
副産物として、SNSを見なくなった。
アプリを開くのは、自分で意図したタイミングだけになる。「なんとなく」で開くことがなくなる。なんとなく開かないと、そもそもタイムラインの情報量が、重すぎて疲れる。
他人の近況、他人の成功、他人の怒り、他人の嘆き。
その全てを、自動的に摂取していた自分が、不思議に思えてきた。
SNSは、他人のニュース速報を、自分の生活の中に垂れ流す装置。そのスピードが、自分の呼吸より速いと、人は消耗する。
通知を切って、ようやく、自分の呼吸の速さで、他人を眺められるようになった。
静かさは、最高の贅沢だった。
結論。
通知を全部切ったら、世界が、静かになった。
静かな世界は、最高に贅沢。
リビングがどれだけ広くても、ソファがどれだけ上等でも、家の中がずっと鳴っていたら、そこは休む場所にならない。
スマホは、家の中で一番よく鳴る家具。
その家具を、黙らせる。
ただ、それだけで、暮らしの質は、驚くほど、変わる。
やってみるなら、まず試しに、3日間。SNSアプリの通知だけでもいい。
それで耳に戻ってくる音を、ぜひ、確認してほしい。
世界は、あなたに、毎日、話しかけていた。
それを、聞き取りなおしてほしいだけ。
