「あなたは大丈夫」。
占い師の多くが、よく使う言葉。
私は、言わない。
15年、ずっと言わないできた。
大丈夫かどうかは、本人が決めること。
鑑定の終わりに、クライアントが聞いてくることがあります。
「私、大丈夫でしょうか?」
涙ぐみながら、疲れた声で、藁をつかむように聞いてくる。
そう言わせてしまうほど、追い詰められて、ここまで辿り着いた人。その人に、「大丈夫ですよ」と言って送り出すのは、とても簡単。相手の表情も一瞬で明るくなる。
でも、私は言わない。
「大丈夫かどうかは、私が決めることじゃないから」
こう返します。
冷たい、と感じる人もいると思う。でも、この一言が、15年のあいだに、いちばん多く感謝されてきた言葉でもあります。
「大丈夫」が、人を弱くする。
他人に「大丈夫」と言ってもらった瞬間、人はほんの少しだけ、楽になる。
でも、それは、その瞬間だけ。
翌朝になると、また不安が戻ってくる。昨日の「大丈夫」は、もう効かない。だから、また誰かに「大丈夫」と言ってもらいに行く。別の占い師、別のカウンセラー、別の友人。
これが、人を弱くする。
自分の大丈夫を、他人に借り続けている人は、借金と同じで、返済の日が来ない。永遠に、誰かの言葉に依存し続ける。
本当の意味で「大丈夫」になるためには、他人から一度、大丈夫を取り上げる必要があります。
自分の足で立つしかない、と気づかせる必要がある。
代わりに、私がすること。
「大丈夫」と言わない代わりに、私がしていることがあります。
足元に、小さな灯りを置く。
真っ暗な夜道に、懐中電灯を手渡しはしない。暗闇の全体を照らしはしない。
ただ、相手の足元に、ろうそくの火を一本、置く。
次の一歩が、かろうじて見えるくらいの、頼りない灯り。
そこから先は、相手が歩く。
転んでもいい。立ち止まってもいい。引き返してもいい。
ただ、その一歩を、自分の足で踏み出す経験が、最終的に、その人を「大丈夫」にしていく。
優しさの、翻訳。
「大丈夫」を言わない、というのは、冷たさではなく、翻訳のしかたの違いだと思っています。
安心を直接渡すか、安心を自分で見つけるきっかけを渡すか。
前者は、速く、簡単。
後者は、時間がかかる。相手の涙と、こちらの覚悟が必要になる。
でも、最後に残るものが、全然違う。
「大丈夫」と言ってもらって帰った人は、翌朝、また誰かに「大丈夫」をもらいに行く。
「大丈夫かどうかは、あなたが決めること」と言われて帰った人は、翌朝、自分の足で床に立つ。
その違いを、私はずっと見てきました。
ろうそくひとつ、火をつけてあげる。
私のしていることは、たぶん、これに尽きます。
ろうそくひとつ、火をつけてあげる。
真っ暗にはしない。でも、月明かりくらいの光は、たぶん残しておく。
答えは、書かない。書きたくない、のではなくて、書いてあげたところで、その答えはあなたのものにならない、と知っているから。
大丈夫ですか、と聞かれたら、今日も、こう答えます。
「大丈夫かどうかは、私が決めることじゃないですよ。」
言ったあと、少しだけ沈黙する。その沈黙の中で、相手の奥のほうで、何かが動きはじめるのが、分かります。
その「何か」が、私の仕事のすべて。
