塩を持ち歩く習慣を、笑われた日のこと。

ポケットの中に、いつも小さな紙包みがある。
白い粒。塩だ。
誰かにそれを見られるたびに、私はどこか身構える。説明を求められる前に、もう言い訳を探している自分に気づく。その反射が、少し恥ずかしい。

目次

笑われた、あの日の喫茶店

六本木の小さな喫茶店だった。
テーブルの向かいに座っていたのは、当時つきあいの長かった編集者の女性で、彼女はいつも仕事が速く、感情に流されない人だった。打ち合わせのたびに私はどこかで気を引き締めていた。

注文を終えて、ふと気づいたら、私はポケットから紙包みを取り出していた。無意識だった。その日は何かに追われているような感覚があって、電車の中でも息が浅かったのを覚えている。店に入る前に、外の空気がやけに騒がしかった。だから体が自然に、塩を出したのだと思う。

「……それ、何?」

彼女の声はフラットだった。責めているわけじゃない、ただ、本当に不思議そうだった。

「塩、です」
「塩? なんで?」

私が「厄除けみたいなものです、持ち歩いてて」と答えた瞬間、彼女はちょっと噴き出した。笑い飛ばしたわけじゃない。でも確かに、肩が揺れた。「レイラってやっぱり面白いね」という言葉が続いて、それで話題は次の仕事の話に移っていった。

私はテーブルの下で、紙包みをポケットに戻した。
コーヒーの香りが立ち上っていた。カップを両手で包んで、少しだけ目を伏せた。

笑われたことが、傷だったのかどうか、今でもよくわからない。でもあの瞬間、私は何かを隠したくなった。それは確かだった。

塩を持ち歩くようになった、最初の記憶

いつから始まったのか、正確には言えない。
でも最初に「塩を持っていなさい」と言われたのは、20代の頃、師事していた年配の占術師からだった。彼女は西洋占星術を教えてくれた人で、教室というほど大げさなものではなく、彼女の自宅の和室に週に一度通っていた。畳の匂い、窓から見える小さな庭、ガスストーブの赤い炎。そういう細部だけはっきりと覚えている。

「塩は境界線よ」と彼女は言った。「何かと何かを分けるもの。あなたはたぶん、これからたくさんの人のエネルギーを受け取ることになる。だから自分の輪郭を守る練習をしなさい」

私はそのとき、半分だけ信じた。
半分だけ、というのが正直なところだった。当時の私はまだ、「信じる/信じない」という軸でしか物事を測れなかった。でも彼女のことは好きだったし、彼女が言うことには根拠のある質感があった。ファンタジーではなく、長く生きた人の実感として語られる言葉の重さ、とでも言えばいいか。

だから持ち歩くようにした。最初は意識的に。やがて無意識に。

15年のキャリアの中で、私はたくさんの人の「内側」に触れてきた。タロットを引くとき、ホロスコープを読み解くとき、相手の言葉を聞きながら何かを感じ取るとき、確かに「何か」が流れ込んでくる感覚がある。それが何なのかを言語化するのはむずかしい。でも体が覚えている。だから塩が手放せなくなった。理屈よりも先に、体がそれを必要とした。

理由は後からついてきた。説明は後からでいい。体感が先にあって、言葉はあとから追いかけてくる。そういうものが、この仕事にはたくさんある。

「科学的じゃない」という言葉の重さ

占い師という仕事をしていると、「非科学的」という言葉はかなり頻繁に飛んでくる。
地上波の番組に出ていた頃も、企業の顧問として関わる場面でも、「本当に信じてるんですか?」という目線を受けることがある。その目線に、私は慣れた。慣れ、という言葉が少し投げやりに聞こえるかもしれないけれど、慣れることと諦めることは違う。

塩を持ち歩くことは、私にとって「科学的かどうか」で判断するものではない。それよりずっと手前の話だ。たとえば毎朝コーヒーを飲む人に「カフェインが必要な科学的根拠は?」と問う人はいない。「気持ちが落ち着く」「頭が覚める気がする」でいい。それでいいのだ。

問題は、占いや霊的なものに関わる習慣だけが「根拠を求められる」という非対称さにある。

お守りを財布に入れる人は笑われない。縁起物をデスクに置く人も笑われない。でも「塩を持ち歩く」と言うと、少し空気が変わる。おそらく「宗教っぽい」「怪しい」という連想が生まれるのだと思う。あるいは「信じすぎている人」のカテゴリに入れられる。

私は信じているというより、試してきた人間だ。15年間、体を張って、時間を使って、クライアントとともに検証し続けてきた。その積み重ねの上に、塩がある。信仰ではなく、経験則に近い。

それを全部説明することは、喫茶店のテーブルでは、できなかった。
コーヒーが冷める前に、打ち合わせを終わらせる必要があった。
だからポケットに、静かにしまった。

境界線という概念を、体で理解した夜

あれは鑑定を始めて数年が経った頃のことだ。
連続して7人の鑑定を行った日があった。今では1日のセッション数を意識的に制限しているけれど、当時はまだそのことがわかっていなかった。「必要とされているなら、応えるべきだ」という考え方で動いていた。

7人目の鑑定を終えたとき、私は椅子から立てなかった。物理的に疲れているということとは少し違う感覚だった。体の外側の輪郭が、ぼんやりしているような感じ。自分がどこで終わって、空気がどこから始まるかが、わからなくなるような。

家に帰って、まず風呂を張って、塩をひとつかみ入れた。
湯船の中でしばらくぼんやりしていた。窓の外に、夜の静けさがあった。お湯の中で足を伸ばして、天井を見て、少しずつ輪郭が戻ってくるのを感じた。

これが「境界線」ということか、とそのとき初めて体で理解した。
師の言葉は、あの和室で聞いたときより、ずっとリアルに響いた。「あなたはたくさんの人のエネルギーを受け取ることになる。だから自分の輪郭を守る練習をしなさい」。

輪郭を守ること。それは冷たさや拒絶とは違う。相手のものと自分のものを、ていねいに区別すること。そうしなければ、長く続けることができない。

塩がその象徴であり続けているのは、たぶんあの夜から本格的に始まったのだと思う。ポケットの小さな紙包みは、「私はここにいる」という確認のようなものだ。

笑われることへの、静かな慣れ方

占い師という仕事をしていると、笑われることには何度も出会う。
「本気で信じてるの?」という軽い笑い。「でも当たらないじゃないですか」という試すような笑い。「レイラって面白いね」という、少し距離を置いた笑い。

私はかつて、それをどうにかしたかった。理解してほしかったし、正しく評価されたかった。説明することで、納得させることで、何かを証明しようとしていた。

でも今は違う。

笑われても、別にいい。というのが正確には違って、「笑われたとしても、塩は持ち続ける」というのが正確だ。笑われることへの感情が消えたわけではない。今でも少しだけ、身構える。あの喫茶店のように。でもその身構えが、すぐに「それでも」に変わるようになった。

ヘアメイクアーティストの仕事をしていたとき、現場でよく言われた言葉がある。「クライアントの好みに合わせなさい」。それは正しい。でも同時に、「自分の美的感覚を捨てなさい」という意味ではなかった。二つを持ったまま、どこに折り合いをつけるかを探し続けることが仕事だった。

塩も、同じ感覚かもしれない。
笑う人の感覚も、わかる。でも自分の経験から来る確かな感触も、手放せない。その二つを持ったまま、ポケットに紙包みを入れて、今日も外に出る。

笑われた日のことを、私はまだ覚えている。でもそれは傷として残っているのではなく、自分の軸がどこにあるかを確かめるための、小さな試金石として残っている。

塩にまつわる、世界中の記憶

塩は人類の最古の防腐剤であり、交易品であり、祈りの道具だった。
「サラリー」という言葉の語源が塩(salt)であることは有名な話だ。古代ローマの兵士への報酬が塩で支払われたという説がある。それほど塩は価値があった。

神道では清めの塩があり、ユダヤの伝統では塩はパンとともに食卓に必ず置かれる。ヨーロッパの魔術的伝統では、塩は「不純なものを遠ざける」ものとして儀式に使われてきた。世界のあちこちで、文化を超えて、人は塩に何かを見出してきた。

これは偶然ではないと、私は思っている。

人が共通して「塩に力がある」と感じてきたのなら、それは集合的な何かの記憶かもしれない。あるいは、塩という物質が持つ実際の性質——浄化、防腐、境界の画定——が、人間の感覚に直接届いてきたのかもしれない。

ライターとしてこのテーマを調べていたとき、あるアフリカの民俗資料に「塩は悪意のある視線を跳ね返す」という記述を見つけた。また中東のある地域では、塩と水のみで作られた清めの儀式が今も続いている。

私は決してオカルトを盲信しているわけではない。でも人類が何千年もかけて積み重ねてきた知恵を、「非科学的だ」の一言で捨てることにも、違和感を覚える。

科学は今日わからなかったことを、明日わかるようにしていく営みだ。つまり「現時点でわかっていない」ということと「意味がない」ということは、イコールではない。

塩を持ち歩く習慣を笑った彼女のことを、私は嫌いにはなれなかった。彼女は誠実で、論理的で、良い編集者だった。ただ彼女の尺度の外側に、私の習慣があっただけだ。それだけのことだった。

Atelier Varyの鑑定室に、塩がある理由

アトリエヴァリーの鑑定室には、小さな白い器に塩が置いてある。
目立つ場所ではない。棚の端の、ほとんど誰も気にしない場所だ。でも私は毎週、それを替える。

理由を話したことは、ほとんどない。クライアントから「あれは何ですか?」と聞かれたことも、数えるほどしかない。だいたいの人は、インテリアの一部として見ている。

でも私にとっては、意味がある。

鑑定室は、たくさんの人の言葉と感情が通り過ぎていく場所だ。嬉しい話ばかりではない。重い秘密、長年の後悔、誰にも言えなかった本音。そういうものが、その部屋の空気に積み重なる。私はそれを感じながら仕事をしている。

だから定期的にリセットしたい。
塩は、そのための道具のひとつだ。

香を焚くことも、窓を開けることも、水を替えることも、同じ意図でしている。「清める」という行為そのものが、私の気持ちを切り替えるスイッチになっている。それがプラセボだとしても、プラセボが機能しているなら、それは十分に価値のあることだと思う。

以前、企業顧問として関わっていたある会社で、会議室の空気について話したことがある。「会議が多すぎる部屋は、負の感情が蓄積する」という感覚的な話をしたら、経営者の方が「面白い視点ですね」と言った。後日その会社は会議室の配置を変えて、定期的に窓を全開にする時間を作るようにしたと聞いた。名前に「塩」はついていないが、やっていることは近い。

見えないものに気を配ることは、ナンセンスではない。空間のエネルギーを整えることは、そこにいる人間の状態に影響する。それは「オカルト」よりも「環境設計」に近い話かもしれない。

でも私はどちらの言葉でも構わない。鑑定室の塩は、今日も静かにそこにある。

「信じている」と「使っている」のあいだ

「塩を信じているんですか?」
この質問が、一番答えにくい。

「信じる」という言葉が、宗教的な信仰と同義に使われることが多いからだと思う。「信じる」か「信じないか」で世界を切り分けるなら、私はどちらにも属さない気がする。

正確に言えば、私は「使っている」のだ。

ハサミを「信じている」人はいない。でも布を切るために使う。ハサミが機能するかどうかは、使い続けた結果でわかる。塩も、私にとってはそれに近い。15年間、使い続けてきた。自分の輪郭を保つために。場を整えるために。切り替えのために。

その結果として、私は今も続けている。

信じているのではなく、機能していると判断しているのだ。その判断は、他人に強制するものでも、証明を求めるものでもない。ただ私の中で、経験の積み重ねが「続けること」を選ばせている。

でも正直に言えば、「信じている」感覚も、ないわけではない。

鑑定を重ねる中で、私は「目に見えないものが確かに存在する」という確信を持つようになった。それをどう呼ぶかは人によって違う。運命、縁、エネルギー、波動、霊性。言葉はなんでもいい。でも「何かある」という感触は、経験によって育ってきたものだ。

塩はその「何か」と向き合うための、私なりの作法のひとつだ。
誰かに笑われても、それは変わらない。
変わらないということが、私にとっての答えだった。

あの喫茶店の帰り道のこと

打ち合わせが終わって、六本木の夜に出た。
11月だったと思う。空気が冷たくて、でも乾いていた。街灯の光が石畳に落ちていて、少し濡れているように見えた。

私はコートのポケットに手を入れた。紙包みの感触があった。しまいなおしたはずなのに、ちゃんとそこにあった。

笑われたことを、もう一度反芻していた。
肩が揺れたあの瞬間を。「レイラって面白いね」という声を。

怒りはなかった。悲しみも、少し違う。
あえて言葉にするなら、「孤独」に近い感覚だった。自分が大切にしていることが、相手の世界の地図に載っていない、という種類の孤独。

でも歩きながら、気づいたことがある。

私が塩を持ち歩くことを、理解してほしい相手は誰なのか。

打ち合わせ相手の編集者に、わかってもらわなくてもいい。タロットや占星術を信じていない人に、証明しなくてもいい。ただ自分がそれを必要としていて、それが自分に機能しているなら、それでいい。

六本木の交差点を渡りながら、そのことを静かに確認した。
ポケットの中の紙包みを、指先でそっと触れた。
白い粒の感触があった。

風が吹いて、コートの裾が揺れた。
11月の夜の空気を吸い込んで、少しだけ深呼吸した。

地下鉄の入口に向かいながら、私は「続けよう」と思った。誰かに向けて宣言するわけでもなく、ただ、ひっそりと。

それからもう何年も経つ。ポケットの中には、今もいつも、小さな紙包みがある。

笑われることと、やめないこと

この話を書こうと思ったのは、最近またふと思い出したからだ。
別の場所で、別の人に、また少し笑われた。内容は違う。でも「それ、本気で?」という空気は同じだった。

そのとき私は、あの喫茶店の夜を思い出した。

笑われることへの私の反応が、あの頃と今でどう変わったかを、測るように思い出した。

まず、身構える。
次に、「でも」が来る。
そして、続ける。

このサイクルが、今は短くなった。身構えの時間が、ずっと短くなった。

それは強くなったということではないと思う。慣れた、でもない。正確には、「自分の軸が、他者の反応から独立してきた」という感覚に近い。他人が笑うかどうかと、私が何を続けるかは、別の話になった。

占術師として、ヘアメイクアーティストとして、ライターとして、15年間でたくさんの「これは変ですか?」という瞬間があった。タロットカードを広げるたびに、ホロスコープを読むたびに、誰かの前で何かを語るたびに、私は常に「この人は笑うかもしれない」という感覚と一緒に動いてきた。

でも今は、ポケットに塩を入れる。それだけだ。

誰かに見られても、「塩です、持ち歩いてます」と答える。説明は最小限でいい。信じてもらわなくていい。わかってもらわなくてもいい。ただ、やめない。

やめないことが、答えだと今は思っている。

大切にしているものを、笑われたからといってポケットにしまい込んでいる人のことを、私はずっと気にしている。あの喫茶店で、紙包みをポケットに戻した自分のことを、今も忘れていないように。

あなたのポケットの中に何があるかを、私は聞かない。
ただ、それをポケットから出したままでいる理由が、きっとあなた自身の中にある。

ヘアメイクの現場で、塩を握った朝

占い師である前に、私はヘアメイクアーティストだった。
正確には、今もそうだ。どちらかを捨てたわけではなく、二つを持ったまま、ずっと動いている。

ヘアメイクの現場は、独特の緊張感がある。撮影の朝は特に。スタジオの空気は早朝から張り詰めていて、照明が立ち上がる前の薄暗い時間、誰もがまだ「仕事モード」に切り替わりきっていない。でも手だけは動かさなければならない。ブラシを持って、誰かの顔に触れる。その人の体温が指先に伝わる。

あるとき、非常に繊細なクライアントの撮影があった。
その方は有名な方で、私はずっとそのお仕事を担当したかった。緊張していた。前日から眠れなかった。当日の朝、電車の中でポケットの塩を握りしめていた。

スタジオに入ったとき、空気が重かった。スタッフの誰かが何かでもめていたのか、前の現場から続いている疲れがあったのか、理由はわからなかった。でも確かに、重かった。

私はいつも通り、まず道具を並べた。ブラシの順番を確認して、パレットを開いて、光の角度を見た。そうしながら、ポケットの中で親指が塩の紙包みに触れていた。一度だけ、深く息を吐いた。

撮影は、うまくいった。
クライアントの表情が少しずつほぐれていくのがわかった。メイクをしながら話すともなく話して、笑いが出て、空気が変わった。

終わった後、アシスタントの子が「今日は最初空気重かったのに、なんか途中からよかったですよね」と言った。
私は「そうだったね」とだけ答えた。

塩のおかげかどうかは、わからない。でも私が落ち着いていたのは確かで、私が落ち着いていたから何かが変わったかもしれない、とは思っている。占いもメイクも、結局は「その人の前に立つ自分の状態」が全てに影響する。塩はそのための準備の一部だ。儀式といってもいいかもしれない。道具を並べることと、同じ意味合いで。

塩を渡したこと、受け取られたこと

一度だけ、クライアントに塩を渡したことがある。

鑑定の最中ではなく、終わりがけのことだった。その方は長いあいだとても苦しい状況にいて、何度か鑑定に来てくださっていた。その日の鑑定は特に重くて、部屋を出ていくときの背中が、まだ少し縮こまって見えた。

「これ」と私は言った。
小さな紙包みを差し出した。「お守りみたいなものです。玄関に置いてみてください」

その方は少し驚いた顔をして、でも受け取ってくれた。何も聞かなかった。「ありがとうございます」とだけ言った。

次に来てくださったとき、「置いてます」と話してくれた。それだけだった。効いたとも、効かなかったとも言わなかった。でも何か、その方の表情が少し軽かった。気のせいかもしれない。でも私はそれを見て、よかったと思った。

塩を渡すことで何かが解決するとは思っていない。鑑定の言葉が届いているならそちらが本質だし、その方が自分で前を向こうとする力が一番大事だ。でも「何か具体的なものを持ち帰る」という行為が、心の支えになることがある。護符でも、石でも、花でも。目に見えるものが「あのとき言われたことを思い出す」スイッチになる。塩はそういう意味で、渡せるものだった。

渡してから、私はしばらく自分の行動が正しかったかどうかを考えた。押しつけがましかっただろうか。でも、あの背中を見たとき、何か手渡せるものが欲しかったのは本当だった。言葉だけでは足りないと感じた瞬間が、あの鑑定室にはあった。

占い師という仕事は、言葉を扱う仕事だ。でも言葉が届かない場所に、物が届くことがある。その感覚は、ヘアメイクの仕事でも感じていた。何も言わなくても、鏡の前で表情が変わる瞬間。言葉より先に、変化が起きる瞬間。

塩はそういうものかもしれない。言葉より手前で、何かに触れるもの。

娘に聞かれた日のこと

少し前、身近な子どもにポケットの塩を見られた。
小学生の女の子で、目がとても鋭い子だった。「それなに?」と聞かれた。

「塩だよ」と答えたら、「なんで塩、持ってるの?」と続けて聞いてきた。

子どもの「なんで」は、大人の「なんで」より純粋だ。笑おうとしているのではなく、ただ知りたいだけ。その目を見ていたら、私は少し考えた。何を答えようか、ではなく、何が正直な答えか、を。

「守ってくれる気がするから」と言った。

「何から?」

「なんとなく、嫌なもの全般から」

その子は少し考えてから「ふうん」と言って、また別のことに興味が移っていった。子どもの集中はそういうふうに動く。でも私はその「ふうん」が、妙に心地よかった。

受け入れでも拒絶でもない。「そういうこともあるのか」という、ただの受け取り。

大人は「信じる/信じない」で判断しようとする。でも子どもは「なんとなく嫌なものから守ってくれる気がする」という説明を、そのまま受け取れる。理屈ではなく、感覚として。

私が最初に塩を持ち始めたのも、そういう感覚だったと思う。師の言葉を「半分信じた」のではなく、「何となくそうかもしれない」という感触で受け取った。その感触が、15年かけて確信に近いものになっていった。

子どもの「ふうん」は、ちょうど私が塩を持ち始めた頃の自分に近い。理屈より先に、何かを感じる。その感じを、大事に扱う。

大人になると、「感じる」よりも「説明できる」ことが優先されていく。それは仕方のないことだし、社会を生きるために必要なことでもある。でも塩を持ち歩く習慣は、私の中の「感じる」側に属している。説明できなくても、続けている。その部分だけは、子どもの頃の自分に近いまま、残っている気がした。

隠さなくなった日から、何かが変わった

あの喫茶店の夜から、しばらくのあいだ、私は塩を隠すようにしていた。
無意識にだ。ポケットの深いところに入れて、外から見えないように。誰かに見られそうになったら、さりげなく別の話題に移すように。

いつ、その習慣が変わったかは、はっきりとは言えない。
ある鑑定の日だったかもしれないし、移動中の電車の中だったかもしれない。でも気づいたら、隠さなくなっていた。

テーブルの上に出したままにするようになった。鑑定室でも、カフェでも。「これは何ですか?」と聞かれれば「塩です、持ち歩いてます」と答える。それだけで終わる。補足しない。謝らない。

その変化は小さなことのように見えて、私の中では大きかった。

自分が大切にしているものを隠さないということは、「理解されなくてもいい」と腹をくくることと、ほとんど同義だ。誰かに笑われるかもしれない。「変な人」と思われるかもしれない。でもその評価を恐れて隠すことは、自分の一部を否定することに近い。

Atelier Varyを立ち上げて、自分の名前で仕事をするようになってから、そのことがより鮮明になった。顔を出して、声を出して、「私はこういう人間です」と示し続ける仕事だ。一部だけを見せて、一部を隠すことに、どこかで無理が来る。

塩を隠さなくなったのは、たぶんそれと繋がっている。
自分の全体を、外に向けて開いていくことを選んだ。その選択の、とても小さな一部が、ポケットの塩を出したままにするということだった。

今も笑われることはある。でもそのたびに、あの喫茶店の夜を思い出す。テーブルの下でポケットにしまった手を、思い出す。そしてゆっくりと、紙包みをテーブルの上に戻す。

それだけのことが、私には長い時間かかった。かかったけれど、今はここにいる。

塩は今日も、ポケットではなく、テーブルの上にある。誰かの目に触れる場所に。見たければ見ればいい、という静かな構えとともに。

それでも、今日も持っていく

外に出る前、コートのポケットを確認する。
鍵、財布、スマートフォン、そして紙包み。
この順番が、私の朝だ。

紙包みがなければ、戻る。取りに戻ることを、面倒だと思ったことは一度もない。

笑われた日のことを、私はまだ覚えている。でもそれより長く、塩を持ち続けている。どちらが自分の本体かは、もう聞かなくていい。

目次