占いを「商売」にすると決めた夜のことを、まだ覚えている。
特別なことは、何も起きなかった。雷も鳴らなかったし、お告げもなかった。ただ、冬の夜で、部屋が少し寒くて、手元には飲みかけのマグカップがあった。
それまでは、趣味だった。
占いは、ずっと好きだった。十代のころからタロットを引いていた。大人になってからは、星を学び、暦を学び、小アルカナの奥まで追いかけた。
でも、仕事だとは思っていなかった。
当時、私はヘアメイクの現場で忙しかった。カードを引くのは、空いた時間に自分のことを見たり、友達の話を聞いたりするくらい。お金を取る、なんて、考えもしなかった。
「無料で見てほしい」と頼まれれば、見た。
「あなた、すごいね」と言われれば、嬉しかった。
そこで終わっていた。
私が、いちばん鑑定に助けられていた。
転機は、誰かの鑑定中に起きた。
知人の友人、だったかもしれない。顔もぼんやりしている。ただ、その人が泣き出したことは、鮮明に覚えている。
「誰にも言えないことを、やっと言えた」
そう言って、涙を拭きながら帰っていった。
私は、呆然と、残されたカードを見ていた。
その人が抱えていたものが、どれだけ重かったかを、カード越しに知っていた。これを、無料で引き受け続けるのは、たぶん、私が壊れる。
と同時に、気がついた。
この鑑定に、いちばん救われていたのは、目の前の人ではなく、私のほうだった。
誰かの人生に触れて、何かを手渡して、それが届いた瞬間の確かさ。ヘアメイクの現場でも似たことはあったけれど、占いでしか感じられない濃度の充実が、そこにはあった。
値段をつける、ということ。
商売にする、というのは、値段をつける、ということ。
これが、想像していたよりも、何倍も難しかった。
「占いにお金を払うの?」という世間の空気。
「友達なのに、取るの?」という身近な人の戸惑い。
「そんなに自信があるの?」という自分の中の声。
全部、ノイズだった。でも、無視できるほど強くもなかった。
最初の鑑定料は、3,000円と決めた。
今から考えると、破格の安さ。でも、当時の私には、3,000円を受け取るのに、ひと月くらい心の準備が必要だった。
銀行振込の画面で、3,000円という数字が動いた瞬間。
私は、泣きそうになった。
「趣味でいればよかったのに」。
商売にすると決めてから、離れていった人は、確かにいた。
「商売にするなんて、占いが汚れる気がする」
「趣味でいればよかったのに」
「お金を取るほどの腕なの?」
全部、直接言われた言葉。
覚えておかないといけないことがある。
あなたが無料で何かを差し出している間、その人はあなたの「ファン」でいてくれる。
でも、値段をつけた瞬間、その人は「お客様」になるか、「去る人」になるか、どちらかを選ぶ。
多くの人は、去ることを選ぶ。
それは、相手が悪いんじゃない。無料で受け取っていた側の関係性が、そういう形だった、というだけ。
それでも、値段をつけてよかった。
離れていった人は、それなりにいた。
でも、値段をつけてから会えた人は、もっと多い。
お金を払う、という行為は、相手に本気を預ける、ということ。本気で受け取ってくれる相手としか、私は、本気で向き合えない。
今、対面鑑定は一回8万円。
それでも予約が埋まるのは、その値段を払って来てくれる人が、こちらの本気に値する人だから。お互いに、本気で本気を交換する時間。
3,000円だったあの夜から、ここまで来るのに、15年かかった。
長い旅路だった、とは思わない。
一度覚悟を決めた人の、ただの日常だった。
決めた日の部屋の寒さと、マグカップの温度を、今も時々、思い出す。
