誰にも見せない、と決めている。
20年分の日記が、アトリエの書棚の奥にある。
ノートの背表紙が並ぶ様子は、まるで小さな墓標みたいだと、ときどき思う。
誰かが死んだわけじゃない。ただ、その日その日の自分が、そこに封じられている。
それだけのことだ。それだけのことなのに、どうしてこんなに重たく見えるのだろう。
はじまりは、二十歳の冬だった
日記をつけ始めたのは、二十歳の冬だった。
大阪の小さなアパートで、暖房もろくに効かない六畳一間に住んでいた頃のことだ。タロットカードを手にしたのもちょうどその時期で、私はまだ「占い師になる」などと本気では思っていなかった。ただ、毎日が何かに引っ張られるように過ぎていって、自分が今どこにいるのかわからなくなっていた。
その年の十二月、年末の雑踏の中で、私は一冊のノートを買った。
罫線の細い、ごく普通の大学ノートだった。
理由は覚えていない。衝動、というか、なんとなく手が伸びた、という感覚だけが残っている。
帰りの電車の中で、鞄の中にそのノートが入っているのを意識しながら、私は窓の外の夜景を眺めていた。梅田の光が、黒い川の水面に溶けていくのが見えた。あの瞬間の静けさを、今でもはっきりと思い出せる。
家に帰って、コートも脱がずに机に向かった。
最初のページに書いたのは、その日の天気と、夕飯に食べた鍋焼きうどんのことと、「今日も何もわからなかった」という一行だった。
文章としての出来は最悪だ。でも、書いた瞬間に、何かが少し軽くなった。
その感覚が忘れられなくて、次の日も書いた。そのまた次の日も。
気づいたら、二十年が経っていた。
人に見せるつもりは、最初から一切なかった。
SNSにアップするとか、誰かに読んでもらうとか、そういう発想が端から存在しなかった。
日記というのは、誰かに届けるための言葉じゃなく、自分の内側に向かって降りていくための縄梯子だと思っている。その縄梯子は、他人の目が入った瞬間に形を変える。私にはそれがわかっていたから、ずっと誰にも見せないままでいる。
書くことは、整理ではなく、掘削だ
よく「日記を書くと気持ちが整理される」という言い方をする人がいる。
それは正しいし、正しくない、とも思う。
整理、という言葉には、どこか棚に物を並べ直すようなイメージがある。
散らかったものをきれいに片づけて、スッキリする。そういう感触。
でも私が日記の中でやっていることは、どちらかというと逆だ。
整えるのではなく、掘る。
ぐちゃぐちゃのまま、もっと深くへ降りていく。
たとえばこういうことがあった。
占い師として独立して数年が経った頃、私はある鑑定を終えたあとに、奇妙な後味の悪さを感じた。鑑定自体は問題なく進んだし、クライアントも納得して帰っていった。でも、どうしても引っかかる何かがあった。
その夜、日記を開いて書き始めたのだが、最初は「鑑定がうまくできなかった気がする」という漠然とした文章だった。
でも書き続けるうちに、少しずつ見えてきた。
私が感じていた後味の悪さの正体は、鑑定の出来ではなく、そのクライアントに向けた私の態度の中にあった。言葉は丁寧だった。カードの読みも精確だった。けれど私は、その人の話を聞きながら、心のどこかで「この人はこうするべきだ」と決めつけていた。それが微細な圧力になって、言葉の端々に出ていた。
書かなければ、絶対に気づかなかった。
日記は、自分の嘘を炙り出す装置だ。
頭の中だけで考えているときは、人はいくらでも自分に都合のいいストーリーを作れる。
でも言葉にすると、嘘は形を持ってしまう。
形を持った嘘は、しばらくすると自分でもわかる。
私は20年かけて、その感覚を体に覚えさせてきた。
掘削、というのはつまりそういうことだ。
きれいに整理するためじゃなく、自分でも見たくないものを、あえて光の下に引きずり出す作業。
それは快適ではない。むしろ、書き終えたあとに具合が悪くなることすらある。
でも、掘らないと何も変わらない。
表面だけを撫でていても、地層は動かない。
ノートの選び方にこだわる理由
20年で使ったノートは、数えたことがないが、おそらく40冊を超えている。
毎年1〜2冊のペースで消費している計算だ。
ノートの選び方には、それなりのこだわりがある。
紙質は、万年筆のインクが裏に抜けないもの。
サイズは、A5かそれより少し小さいもの。大きすぎると、余白が怖くなる。
表紙は、できれば地味なもの。目立たない色。
これは「誰にも見せない」という意志と関係していると思う。存在を主張しないデザインのほうが、書いている間に落ち着く。
一番長く使い続けているのは、とあるドイツのメーカーのノートだ。
紙が少し黄みを帯びていて、蛍光灯の下よりも、電球色の光の中で書くほうが似合う。
アトリエのデスクに小さなランプを置いているのは、そのためでもある。
夜遅く、クライアントの鑑定を終えて、ようやく一人になった時間に、そのランプだけを灯して日記を書く。
外の音が遠くなって、自分の呼吸だけが聞こえる感じ。
その時間は、今でも誰にも邪魔してほしくない。
ペンも、年によって変わってきた。
最初は普通のボールペンだった。二十代の半ばに万年筆を手に入れて、それからはずっと万年筆派だ。
インクが紙に染み込んでいく感触が、考えることのスピードと合っている気がする。
キーボードで打つのとは、何かが違う。指先に重みがある。その重みが、言葉を選ぶときの慎重さに繋がっている、と感じる。
道具にこだわるのは、書くという行為を「儀式」として扱っているからかもしれない。
毎日必ずやる、と決めているわけではない。書かない日もある。旅先では書けないこともある。
でも書くと決めたときには、道具を整えて、灯りを選んで、それなりの準備をして臨む。
その準備の時間自体が、すでに書くことの一部になっている。
タロットと日記は、同じ問いを立てている
占い師として15年以上この仕事をしてきて、タロットと日記は根っこが同じだと感じるようになった。
タロットは、カードを通して「今の自分がどこにいるか」を可視化するツールだ。
並んだカードを読むとき、私は「何が正解か」を探しているわけではない。
「何が見えているか」「何が隠れているか」「どこに流れが向かっているか」を観る。
日記も、やっていることは同じだ。
言葉を並べながら、自分の内側の地図を少しずつ描いている。
鑑定のとき、私はクライアントに「今の状況を教えてください」と言うことがある。
でもその言葉の裏には、「あなた自身は、今の状況をどう見ていますか」という問いがある。
人は、自分の状況を意外なほど正確に言語化できない。
何かを感じているのに、言葉が出てこない。あるいは言葉は出るのに、それが本当のことかどうかわからない。
そういうとき、タロットのカードが媒介になって、言語化しづらいものが形を持つ。
日記は、その媒介を言葉そのものに頼る行為だ。
だから、よりダイレクトに、よりノイズが多い。
タロットには象徴があって、その象徴が一種のフィルターになってくれる。
でも日記には象徴がない。生の言葉が、生のまま紙の上に並ぶ。
それが怖くて、書けなくなる夜もある。
それでも書く。それでも続ける。
占星術の観点から言えば、日記をつけるという行為はひどく水星的だ。
記録し、整理し、言語化し、思考を追跡する。水星の本来の仕事。
でも私が日記の中でやっていることは、もう少し冥王星的な領域に触れている気がする。
表面を掘り下げ、深層まで降りていき、変容を促す。
書くことは、どこかで自分を壊すことと隣り合っている。
他人に見せない、ということの意味
「誰にも見せない」という決め事について、もう少し丁寧に書いておきたい。
私はこのブログに、日々のことを書いている。アトリエで感じたこと、占いの仕事の中で気づいたこと、季節の変わり目に感じる感覚のこと。
でもそれは、日記とは別のものだ。
ブログに書く言葉は、誰かに届く前提で選んでいる。
日記に書く言葉は、誰にも届かない前提で選んでいる。
その違いは、思っているより大きい。
誰かに届く前提の言葉は、どうしても「伝わるか」という視点が入る。
これを書いたら伝わるか。誤解されないか。傷つけないか。
その検閲は必ずしも悪いことではない。コミュニケーションには必要な作業だ。
でも、その検閲が常にかかっている状態では、書けない言葉がある。
たとえば、誰かのことを憎いと思った夜のこと。
たとえば、自分のやっていることが全部無意味に感じた夜のこと。
たとえば、誰かに傷つけられたのに、傷ついた事実よりも傷つけた相手への依存を感じた、あのどうしようもない夜のこと。
こういうことは、公開できない。する気もない。
でも書かないと、胃の底に沈んで腐る。
だから日記に書く。誰にも届かない言葉として。
「誰にも見せない」という選択は、秘密主義とは違う。
むしろ、自分に対して正直であるための選択だ。
見せる前提で書くと、人は無意識に自分を「良く見せる」方向に書く。
被害者として、あるいは頑張っている人として、あるいは気づいている人として。
そのバイアスが入った瞬間に、日記はもう別のものになる。
私が書きたいのは、バイアスのない自分の話だ。
それは醜いし、矛盾しているし、恥ずかしい。
だから誰にも見せない。
20年分のノートを、久しぶりに並べた夜
去年の秋、アトリエの大掃除をした。
棚を全部空にして、本を出して、ノートを出して、並べ直した。
その作業の途中で、20年分の日記が全部テーブルの上に出た。
初めてだった。全部を同時に目の前に並べたのは。
ノートごとに、背表紙に年月を書いてある。
二十歳の冬から、今年の春まで。
並べると、自分の人生の物理的な重みが、そこにある気がした。
背表紙を一冊ずつ眺めた。手に取って、少しだけページをめくった。
二十代前半の日記は、字が大きい。筆圧が強い。感情が大げさだ。
読んでいて、少し恥ずかしい。でも愛おしくもある。
あの頃の自分は、すべてが初めてで、すべてが大事件だったのだろう。
三十代になると、字が少し小さくなる。文章が長くなる。問いの解像度が上がっている。
四十を過ぎた頃からは、また変わる。一文が短くなる。書く量は減るが、密度が増す。
同じ私が書いているのに、他人の変遷を見ているようで不思議だった。
一冊だけ、読み返せなかったノートがある。
背表紙の年月を見ただけで、手が止まった。
その年に何があったかは、書かない。
ただ、そのノートだけ、背表紙の色が他のものより少し色褪せている。
何度も取り出して、何度も開こうとして、できなかった証拠だろうと思う。
それを捨てようとは思わない。でも読み返す気にもなれない。
ただ、存在していることが、それでいい。
全部を棚に戻したあと、私はしばらく椅子に座ったまま動けなかった。
20年という時間が、急に実感として降ってきた。
これだけのことが、あったんだな、と。
これだけのことを、書いてきたんだな、と。
誰にも言わず、誰にも見せず、ただ書き続けてきた。
その事実だけが、静かにそこにあった。
書けない夜のことも、書く
「毎日書いているんですか」と聞かれることがある。
毎日ではない、と答える。
書けない夜がある。書かない夜がある。
その区別は、自分でも曖昧なことがある。
書けない夜というのは、言葉が出てこないのではなく、言葉を出すことに耐えられない夜のことだ。
何かを書いてしまったら、それが本当のことになってしまう気がして、怖くなる。
たとえば、誰かとの関係が終わりに近づいているのがわかっているとき。
たとえば、自分が下した決断の正しさに、まだ自信が持てないとき。
こういうとき、私は日記を開けない。
開けないまま、眠れない夜を過ごす。
でも、面白いことに気づいた。
書けない夜があっても、次に書けるようになったとき、その「書けなかった夜」のことを書ける。
あの夜は書けなかった、と。
あの夜、私は何を恐れていたか、と。
距離ができると、見えてくるものがある。
その距離を生み出すのも、時間だ。
書かない夜は、また別だ。
ただ疲れている夜。何も考えたくない夜。
そういう夜は、無理に開かない。
日記をつけることは義務ではない。
やめようと思えばやめられる。でも続いている。
それはたぶん、書くことが私にとって「しなければならないこと」ではなく「したいこと」だからだろう。
20年続けてきた習慣の中には、意地になっている部分も正直ある。
ここまで来たら、続ける。という、意地。
でもそれだけではない。
書くことが、今の私にとって、生きることと切り離せないほど深く絡まっている。
朝食を食べるとか、シャワーを浴びるとか、そういう感覚に近い。
なくても死なないが、ないと何かが崩れていく。
言葉が先か、感情が先か
長く書き続けてきて、今でも答えが出ない問いがある。
言葉が先か、感情が先か、ということだ。
私は日記を書くとき、感情を言語化しようとして書く。
だから感情が先で、言葉はその翻訳だ、と思っていた。
でも、そうではないことに気づいた瞬間がある。
ある夜、何も感じていない状態でノートを開いた。
感情的なことは何もなかった。ただ、習慣として書こうとした。
書き始めると、最初は天気のことを書いた。その日の鑑定の流れを書いた。
でも書き続けるうちに、不意に手が止まった。
書いていた内容が、気づかないうちに変わっていた。
いつの間にか、ずっと忘れていた、というより、感じないようにしていた、ある悲しみのことを書いていた。
書いた瞬間に、胸の奥で何かが動いた。
感情は、言葉が来るまで、そこにいることを許されていなかったのかもしれない。
これは怖い体験だった。
私は自分の内側を知っているつもりでいたのに、言葉にするまで気づかなかったことがある。
そのことが、怖かった。
同時に、だから書くのだという確信にもなった。
言語は感情の後を追うのではなく、感情を召喚することがある。
書くことによって、初めて感じることができる。
この体験を、20年の間に何度もしてきた。
タロットの仕事をしていても同じことが起きる。
カードを読み始めることで、クライアントが初めて自分の感情に触れる。
言葉や象徴が、感情の扉を開ける。
日記と鑑定は、そういう意味でも似ている。
これから先も、書き続けるだろう
これから先も書き続けるだろう、と思っている。
根拠はない。ただ、そう思う。
20年後の自分が、今の日記を読むかもしれない。
あるいは読まないかもしれない。
どちらでもいい。読まれるために書いているわけじゃないから。
占い師として、人の人生の転換点に何度も立ち会ってきた。
地上波の番組に出たことも、企業の顧問をしたことも、数百万円以上の鑑定料を受け取ったことも、全部ある。
でも私が一番素直にいられるのは、アトリエのデスクの前に一人で座って、小さなランプの下でノートを開いているときだ。
どんな肩書きも関係ない。Laylaでもレイラでもなく、ただ一人の人間として、自分の内側に向き合っている時間。
それが、20年続いている理由だと思う。
書棚の奥に、これからもノートが増えていくだろう。
背表紙に年月を書いて、並べる。
いつか全部が棚に入りきらなくなったら、そのとき考える。
でも捨てるつもりはない。
あの40冊以上のノートは、私が生きてきた証だ。
誰にも見せないが、確かにそこにある。
それで十分だ。
アトリエの夜は静かだ。
外では車の音がして、遠くで誰かが笑っている声がする。
でもデスクの前だけは、別の時間が流れている気がする。
万年筆を持って、ノートを開く。
今日のことを、書く。
誰にも届かない言葉を、丁寧に選びながら。
最後に一つだけ、言っておきたいことがある。
「誰にも見せない」と決めているのに、なぜここでこれを書いているのか、と思う人がいるかもしれない。
私もそれを考えた。
でも、日記の中身を書いているわけじゃない。
日記を書いてきた、という事実を書いている。
その違いは、私には大きい。
誰のためでもない言葉が、一番深くまで届く
このブログを読んでいる人の中に、日記をつけていたことがある人、あるいは今もつけている人が、きっといると思う。
人に見せるための言葉と、見せないための言葉を、両方書いている人も。
どちらが正しいとか、どちらが偉いとか、そういう話ではない。
人それぞれのやり方がある。
ただ私の場合は、誰にも届けない言葉を書くことで、自分への届け方を学んできた。
20年かけて、少しずつ。
タロットの鑑定をしていて思うのは、人が最も正直になれるのは、誰かにジャッジされないと感じている瞬間だ、ということだ。
占い師である私は、クライアントにとってジャッジしない存在として機能しようとしている。
だから話せることがある。言えることがある。
日記は、それの究極の形だと思う。
誰にも見せない言葉は、誰にも否定されない。
だから、一番本当のことが書ける。
先日、久しぶりに二十代の頃のノートをほんの数ページだけ読み返した。
あの頃の自分が、今の私に向けて書いたはずはないのに、まるで手紙のように読めた。
あなたはちゃんとここまで来たよ、と言われているような気がした。
誰にも見せなかった言葉が、20年越しに自分自身に届いた。
その感触は、他の何にも似ていない。
アトリエの書棚に、今夜も新しいページが増える。
誰も知らない言葉が、そっと加わる。
それでいい。それがいい。
誰かに読まれることを望まない言葉が、どこかで静かに輝いている。
あなたにも、きっと、誰にも言えないまま抱えている言葉がある。
その言葉が、紙の上に降りたとき、あなたの中で何かが変わるかもしれない。
変わらないかもしれない。
でも少なくとも、形を持つ。
形を持った言葉は、もう、ひとりで動き出す。
書くことで、占いが変わった
占い師になって間もない頃、私はひどく「正解」を探していた。
カードの意味を完璧に覚えようとして、星の配置を正確に読もうとして、クライアントに的確な言葉を届けようとして、常に緊張していた。
鑑定が終わるたびに「あの言い方で良かったか」「あのカードの読みは正しかったか」と反芻して、眠れない夜が続いた。
そのことに気づいたのも、日記だった。
ある時期、日記を読み返したら、同じ言葉が何度も繰り返されていた。「正しくできたか」「間違えていないか」「失望させていないか」。
その言葉の連なりを見たとき、私はようやく理解した。
私が鑑定の場でやっていたのは、相手と向き合うことではなく、自分の不安を管理することだったのだと。
占いは、正解を届ける仕事ではない。
正解など、どこにもない。あるのは、その人が自分自身の答えへと歩いていくための、道しるべだ。
その本質に気づかせてくれたのは、タロットでも占星術の教科書でもなく、日記だった。
書くことで自分の不安を直視したとき、初めて不安から少し自由になれた。
そこから、鑑定のやり方が変わった。言葉の選び方が変わった。クライアントの前での呼吸が変わった。
今の私の占いは、20年分の日記の上に立っている。そう言っても、あながち大げさではないと思っている。
ある春の鑑定のことを覚えている。
仕事を辞めるかどうか迷っているという女性が来た。話を聞くうちに、彼女が本当に悩んでいるのは仕事のことではなく、「自分が何を感じているかわからない」ということだと気づいた。
私はそのとき「日記を書いてみてください」と伝えた。占い師が占いの代わりに日記を勧めるのは、変な話かもしれない。でも、あの瞬間、それが一番誠実な言葉だと感じた。
彼女は三ヶ月後に、短いメッセージをくれた。「書いていたら、答えが出ました」とだけ、書いてあった。
季節ごとに、書き方が変わる
長く続けていると、季節によって日記の性質が変わることに気づいた。
春は、問いが多い。何かが動き始める予感と、それへの戸惑いが混ざる。
夏は、感情が強くなる。熱量があって、筆圧が上がる。書く量が増える。
秋は、静かになる。観察するように書く。外の木の葉が落ちるのを眺めながら、自分の内側で何が落ちているかを書く。
冬は、一番正直になれる。どこかに出かける気力も湧かず、人と会う機会も減り、アトリエの中で長い夜をひとりで過ごしながら書く冬の日記は、他の季節とは別の深さがある。
去年の冬、窓の外に雪が積もった夜があった。
大阪でそれほど雪が積もることは珍しい。アトリエの窓から外を見ると、街灯の光の中に白いものがゆっくりと落ちていた。
そのまましばらく眺めていたあと、ノートを開いた。
雪のことを書いた。雪が静かであることを書いた。静かさの中にいると、普段は聞こえない音が聞こえてくることを書いた。
気づいたら二時間が経っていた。書いた内容は、雪から始まって、子どもの頃の冬のことへ、そして今自分が何を怖れているかへと、自然に繋がっていた。
季節は、書くことの入り口をくれる。
占星術的に言えば、これは土星と月の関係に似ている。
時間の積み重ねと、感情の潮の満ち引きが交差するところに、深い自己理解がある。
日記は、その交差点を記録したものだ。
季節が変わるたびに、自分の中の何かも変わる。そしてその変化は、書かなければ見えないまま通り過ぎていく。
見えなかったからといって、変化が起きていないわけではない。
ただ、気づかないだけだ。気づかない変化は、蓄積しながら、どこかで突然形を変えて噴き出す。
日記は、そのガス抜きでもある。
読み返さない年と、読み返す年
20年の中で、読み返す年と読み返さない年がある。
ルールを決めているわけではない。自然とそうなる。
読み返さない年は、今が忙しい年だ。
鑑定の数が増えて、ライターとしての仕事も重なって、ヘアメイクの現場もある。そういう年は、書くことに精いっぱいで、振り返る余裕がない。
それでいい。書き続けることだけが目的の年もある。
読み返す年は、何かが変わろうとしている年だ。
転換点の前後に、過去のノートを開きたくなる。
何年も前の自分が何を考えていたか確かめたくなる。あるいは確かめることで、今の選択に対して何かしらの根拠を得たくなるのかもしれない。
でも実際に読み返してみると、根拠は得られないことが多い。
過去の自分は、今の状況を知らないから、今の答えを持っていない。
それでも読み返す。それで何かが、腑に落ちることがある。
三十代の半ばに、大きな決断をしなければならない時期があった。
仕事の方向性を根本から変えるかどうか、という選択だった。
そのとき私は、二十代の後半に書いたノートを引っ張り出した。
あの頃の自分は、今とは全く違う悩みを抱えていた。問いの種類が違う。言葉の選び方が違う。
でも、根っこにある不安の形が、驚くほど似ていた。
何かを選ぶときに、私はいつも同じ場所で躓く。
それがわかって、不思議と落ち着いた。
躓く場所がわかっているなら、その場所で慎重になればいい。それだけのことだ。
過去の日記は、自分という人間の取扱説明書だ。
誰かが書いてくれた取説ではなく、自分自身が使いながら書き足してきた、手書きの、ぐちゃぐちゃの取説。
そこには弱点も、癖も、繰り返すパターンも、全部書いてある。
読み返すことは、自分という機械の内部構造を確認する作業に似ている。
定期的に確認しないと、どこかが錆びていても気づかない。
今夜も、アトリエのデスクに灯りが点る。
万年筆を持って、ノートを開く。
今日という一日が、誰にも届かない言葉になって、紙の上に降りていく。
それを積み重ねることが、私という人間を作ってきた。
そしてきっとこれからも、作り続けていく。
誰にも見せない場所に、本当の自分がいる。
それを知っているだけで、人はずいぶん、強くなれる気がする。
