「相手の気持ち」を絶対に占わない、私のルール。

「彼は私のことをどう思っているんですか?」
この質問が、私のもとに届く相談の中で、もっとも多い問いかけのひとつだ。

でも私はこの質問を、タロットで占わない。
西洋占星術でも、占わない。
15年、ずっとそうしてきた。
それは意地悪からでも、技術的にできないからでもない。
ひとつの、確固たる理由がある。

目次

「相手の気持ち」を聞いた瞬間、何が起きているか

鑑定の席に座る方のほとんどが、最初から「相手の気持ち」を聞きに来るわけではない。最初は「この関係をどうすべきか」という問いで予約を入れてくれる。ところがセッションが始まって少し経つと、会話はどこへ向かうか。「彼はどう思っているんでしょう」「あの人の心の中では何が起きているんですか」という問いへと、滑らかに、しかし確実に流れていく。

その瞬間、私は一度だけ、静かに問い返す。
「それを知って、どうしたいですか?」

この問いを返すと、面白いことが起きる。多くの方が、少し沈黙する。そして「……わかりません」と言う。あるいは「知れば安心できると思って」と答える。どちらの答えも、私には非常に大切な情報だ。なぜなら、「相手の気持ちを知ること」と「自分が何をしたいかを知ること」は、全く別の問題だからだ。

彼が自分のことをどう思っているかがわかったとして、その後どうする? もし「好きだと思っている」と出たら、何かが変わるだろうか。もし「もう気持ちがない」と出たら、その人はその関係を終わらせられるだろうか。答えはほぼ、ノーだ。「そうなんですね」と言いながら、また次の質問が来る。「でも、将来は?」「でも、彼女のことはどう思ってるんですか?」。問いが問いを呼び、その人はどこへも動けないまま、占いの中に住み続けようとする。

私は、それを愛と呼ばない。それは依存であり、思考の停止だ。占いがその停止を加速させるなら、私はその占いをするべきではないと判断している。

他者の内面は、誰のものか

哲学的に聞こえるかもしれないが、これは非常に実務的な話だ。「相手の気持ち」は、相手のものだ。当たり前のことに聞こえるが、多くの人はこれを忘れている。あるいは忘れたふりをして、誰かに「教えてもらおう」としている。

タロットというのは、カードを引く人間のエネルギーと、場のエネルギーが交差するところで映像を結ぶツールだと、私は理解している。15年この仕事をしてきて、地上波のテレビ番組でも鑑定させていただき、企業顧問として経営判断に占術を活かす場面にも立ち会ってきた。その経験を通じて言えることは、タロットが最も精度高く機能するのは「その場にいる人間のエネルギー」を読むときだということだ。

ここには席にいない。彼は今、別の場所で別の時間を生きている。彼の内面を読もうとするなら、彼がここにいて、彼のために鑑定するのが筋だ。私の鑑定室にいない人間の気持ちを、私が代わりに読み解いて他の誰かに渡す、というのは、言い方が悪いが「盗み見」に近い行為だと感じている。倫理の話である。技術の話ではない。

よく「霊能者なら相手の気持ちがわかるんじゃないですか」と言われる。私は霊能者ではないので正確にはわからないが、仮にわかるとしても、だ。それはその人が「見せたい」と選んだ情報ではない。その人の意志を通さず内面を暴露することは、どんなに善意であっても、その人の尊厳を侵すことになる。私はそういう占いを、したくない。

ある相談者が教えてくれたこと

数年前のことだ。30代の女性が、予約の備考欄に「彼の気持ちを教えてください」とだけ書いて来られた。セッションが始まると、彼女はバッグからメモ帳を取り出した。そこにはびっしりと、彼の行動の記録が書き込まれていた。何時に既読がついた、どんな返信だった、週末の行動パターン、彼女への態度の変化……。几帳面な字で、1ヶ月分の記録がある。

私はそのメモ帳を一瞥して、カードには手を伸ばさなかった。代わりに彼女に言った。「このメモを書くのに、どのくらい時間を使いましたか?」

彼女は少し驚いた顔をして「毎晩、寝る前に……たぶん30分くらい」と答えた。1ヶ月、毎晩30分。計算すれば15時間だ。彼の行動を記録することに、15時間を使っていた。その間、彼女は自分のために何かをしていたか。自分が何をしたいかを考えていたか。

彼女の目に、何かが光った。怒りでも悲しみでもなく、何か、もっと深いところから来る感情だったと思う。しばらく沈黙があって、彼女はこう言った。「私、彼のことを観察することで、考えなくて済んでいたのかもしれません」

私はその言葉を聞いて、やっとカードを広げた。でもそのとき読んだのは「彼の気持ち」ではなく、「彼女が今、どこに立っているか」だった。そしてそちらのほうが、はるかに彼女の役に立った。セッションが終わるとき、彼女はそのメモ帳をバッグの奥深くに押し込んで、「次はメモ帳なしで来ます」と言って帰った。

「知りたい」の正体

「相手の気持ちを知りたい」という欲求の正体を、もう少し丁寧に解剖してみたい。これは複数の層から成っている。

一番上の層にあるのは「安心したい」という気持ちだ。不確かな状態に人は耐えられない。特に、自分が好意を持っている相手の評価が宙ぶらりんになっているとき、その不確かさは痛みを伴う。だから「白黒つけたい」という衝動は、ごく自然な防衛反応だ。

二番目の層には「自分の判断を正当化したい」という欲求がある。「彼が好きだと思っているなら、私がこれだけ時間を使っているのは無駄じゃない」「彼が何も感じていないなら、私が傷ついているのは正しい」。どちらの答えを求めているかは人によって異なるが、占いを通して「自分のしていることへの許可」を得ようとしている場合がある。

三番目の層、これが最も根深いが「自分の気持ちから目を逸らしたい」という欲求がある。相手の気持ちを読もうとしている間は、自分の気持ちと向き合わなくていい。「私はどうしたいのか」「私はこの関係に何を求めているのか」「私はどんな未来を望んでいるのか」という問いは、答えるのが怖い。だから、相手を主語にした問いに逃げ込む。

占い師として15年やってきて、この三層構造を無数に目撃してきた。私がやるべき仕事は、一番上の層に答えを与えることではなく、三番目の層に届く問いを一緒に探すことだと思っている。

「相手の行動」と「相手の気持ち」の違い

ここで、少し実務的な話をしたい。私が鑑定で読むのは、「相手の気持ち」ではなく「この関係の流れ」や「相手がどのような行動を取りやすいか」という傾向だ。これは全く別のことだ。

占星術で言えば、相手の生年月日がわかれば、その人がどのような思考パターンを持ちやすいか、感情の処理の仕方はどうか、対人関係においてどのような行動を取りやすいか、という傾向は読める。これは「気持ち」の読み取りではなく、「性質」の読み取りだ。

たとえば、土星的な影響が強い人は、感情を表に出すのに時間がかかる。感情がないのではなく、処理に時間がかかるのだ。そういう人に「なぜ返事が遅いのか」を問うのは、右利きの人に「なぜ左手でうまく字が書けないんだ」と責めるようなものだ。性質を知ることで、相手への解釈が変わる。それは相談者の役に立つ。

タロットでも、たとえば「この関係に今どんなエネルギーが流れているか」は読める。「障害は何か」も読める。「どちらの方向へ動くと良い流れが来るか」も読める。でもそれは「彼が今、あなたのことをどう思っているか」とは別の問いだ。私が読むのは常に、相談者の前に広がっているエネルギーの地図であって、相手の内心の独り占めではない。

この区別を最初に伝えると、「なるほど、では何を聞けばいいんですか」と多くの方が前向きに問い直してくれる。そこから始まる鑑定は、格段に実りがある。

「占ってもらえばわかる」という幻想の解体

私が「相手の気持ち」を占わないもうひとつの理由は、そこには「占えばわかる」という前提への、静かな反論が含まれているからだ。

占いは万能ではない。これを言うと驚かれることがある。「占い師なのにそれを言うんですか?」と。でも私は、15年間この仕事を誠実にやってきたからこそ、これをはっきり言える。

占いが精度を持って機能するのは、特定の条件下においてだ。問いが明確であること、相談者自身が変化を望んでいること、そして読む対象がその場の文脈と繋がっていること。これらが揃ったとき、占いは驚くほどの精度を発揮する。私はその精度を信じているし、それを根拠に仕事をしている。

しかし「ここにいない誰かの、今この瞬間の内心」を読むことは、この条件を外れている。そこには技術以前の問題がある。正確に言うなら、たとえ何らかの情報が出てきたとしても、それを「正解」として相談者に渡すことは、私には責任を持ってできない。なぜなら、その「正解」によって相談者が大きな決断を下す可能性があるからだ。

ある方が、知人の占い師に「彼はあなたのことが好きだと出た」と言われて、その言葉を信じて積極的にアプローチし続けた結果、相手に引かれて関係が終わった、という話を聞いたことがある。占いの「答え」が、その人の選択肢を狭めた例だ。占いは道を示すものであって、道を決めるものではない。ましてや、他者の内心の「正解」として機能するものではない。その区別を、私は絶対に曲げない。

では、私は何を占うのか

「相手の気持ちは占いません」と言い切ると、「じゃあ恋愛の相談はできないんですか?」と聞かれることがある。そんなことはない。恋愛の鑑定は、私の仕事の中で非常に大きな比重を占めている。

私が占うのは、「あなた」だ。あなたは今どんなエネルギーの状態にあるか。あなたが無意識に求めているものは何か。あなたが恐れているものは何か。この関係において、あなたは何を学ぼうとしているか。あなたが動くなら、どの方向に動くと自分の本質に近づけるか。

これだけでも、セッション1時間はあっという間に終わる。むしろ時間が足りないくらいだ。なぜなら、「自分」というテーマは無尽蔵に深いからだ。他者の気持ちを探るより、自分自身を読み解くほうが、ずっと難しくて、ずっと面白い。

たとえば、ある相談者の方と鑑定をしていたとき、彼女は「好きな人が振り向いてくれない」という相談で来ていた。カードを展開していくと、そこに繰り返し現れるテーマは「自己価値の低下」と「完璧主義」だった。彼が振り向くかどうかではなく、彼女自身が自分を過小評価していることで、関係の中で常に「与えすぎ・待ちすぎ」のポジションに自分を置いてしまっているというパターンが、カードの並びから鮮明に浮かび上がった。

「彼の気持ち」を占っていたら、そのパターンは見えてこなかった。彼女自身を占ったから、見えた。そしてそれが見えたことで、彼女は「どうすれば彼が振り向くか」ではなく「どうすれば自分が本来の自分に戻れるか」という問いを持ち帰ることができた。それが、本当の意味での鑑定だと私は思っている。

ルールは「冷たさ」ではなく「誠実さ」から来る

このルールを話すと、「レイラさんは占い師なのに冷たいですね」と言われることが、ごくまれにある。私は別に傷つかないが、少しだけ残念だとは思う。なぜなら、このルールはまったく逆の感情から来ているからだ。

私が「相手の気持ちを占わない」のは、相談者のことを、占いに依存させたくないからだ。その人の人生の決断を、占いの「答え」に明け渡してほしくないからだ。占いは羅針盤だ。目的地を決めるのは、あなただ。私がどんなに精密な羅針盤を持っていても、あなたが「どこへ向かいたいか」を放棄していたら、羅針盤は意味をなさない。

相手の気持ちを占ってあげることは、一時的な「答え」を与えることで相談者に安心感を提供することはできる。でもそれは長続きしない。その答えが崩れたとき(相手の気持ちは、時間とともに必ず変化するから)、また新しい「答え」を求めて戻ってくる。その繰り返しが、依存の構造を作る。

私がアトリエヴァリーで15年間やり続けてきたのは、依存を作ることではなく、自立を促すことだ。鑑定が終わったとき、その人が「もっと占ってもらわないと怖い」ではなく「自分で考えるヒントをもらった」と感じて帰ってくれるような鑑定をしたい。それが私の仕事に対する、根本的な姿勢だ。

だから私のルールは、冷たさではない。誠実さだ。相談者の今日の安心より、その人の来年の自立を選ぶ、という誠実さだ。

「自分を占う」ことの、本当の意味

占いに来る人の多くが、「答え」を求めて来る。でも本当に必要なのは「問い」だと、私は思っている。

良い占いセッションとは、答えをもらうことではなく、自分では気づけなかった問いを渡されることだ。「私は何が怖いのか」「私はなぜこのパターンを繰り返すのか」「私は本当は何を望んでいるのか」。これらの問いを自分の中に持ち帰ることができれば、その人は日常の中で自分自身と対話を続けることができる。占い師に来なくても、自分で考え続けることができる。それが本来の占いの使い方だと、私は考えている。

冬のある日の午後のことだ。私のオフィスに、長年の知人が個人的な相談で訪ねてきた。恋愛の話ではなく、仕事上のある選択について相談したいと言っていた。でも話しているうちに、その仕事の選択の奥に、ずっと答えを先延ばしにしてきた「自分はどんな生き方をしたいか」という問いが潜んでいることが見えてきた。彼女自身は気づいていなかった。カードはそれをはっきりと指し示した。

その日の鑑定が終わって、彼女は「相談と全然違う話になったけど、これが本当に聞きたかったことだったかもしれない」と言った。外は暗くなっていて、私たちは少し笑った。占いとはそういうものだと思う。表層の問いの下に隠れている、もっと本質的な問いを掘り当てる作業だ。

「相手の気持ち」という問いは、表層に浮かんでいる問いの中でも、最も表層にあるものだ。そこを深掘りするより、その問いをひとつの入口として、もっと奥にある本質の問いへ降りていく。それが私の仕事だと思って、15年やってきた。

それでも「知りたい」と思う気持ちは、正しい

最後に、これだけははっきり言いたい。「相手の気持ちを知りたい」と思うこと自体は、何も悪くない。それは人間として、ごく自然な感情だ。不確かさに耐えられないことも、安心を求めることも、愛する人の内側を知りたいと思うことも、すべて人間らしい衝動だ。そこを責める気は、私には一切ない。

ただ、その「知りたい」という気持ちを、占いという形で外に向けて解消しようとするとき、見落としているものがある。「知りたい」という感情そのものの中に、あなたの本音が詰まっているということだ。

なぜ知りたいと思うのか。知った後に何をしたいのか。もし相手が「あなたのことが好きだ」と言ったら、その後あなたはどう動くつもりなのか。もし「もう気持ちがない」と言われたら、あなたはどうするのか。これらの問いを、占いの答えを待つ前に、自分に向けてみてほしい。

ある方が以前、鑑定後に私にこんなことを言ってくれた。「相手の気持ちを占ってもらうつもりで来たのに、気づいたら自分の気持ちを初めて言葉にしていた。ずっと彼のことばかり考えていたから、自分が何を感じているか、全然わかっていなかった」と。

その言葉を聞いたとき、私は内心、この仕事をしていてよかったと思った。派手な「答え」を渡したわけじゃない。ただ、問いの矢印を外から内へ、向け直しただけだ。でもそれだけで、その人は何かを取り戻していた。

私が「相手の気持ち」を占わないルールは、これからも変わらない。でも、そのルールの背後には、一つの確信がある。相手の気持ちを知る前に知るべきことが、あなたの中にある、という確信だ。

占いの席で本当に見つかるものは、「彼の答え」ではなく、ずっとそこにあったのに誰も教えてくれなかった「自分の問い」であることが多い。
そしてその問いは、誰かに代わりに占ってもらわなくても、あなた自身がすでに知っている。

「占えますよ」と言える占い師が、なぜ占わないのか

私がこのルールを話すと、たまに同業者から「でも技術的にはできるんでしょう?」と聞かれることがある。答えはイエスだ。やろうと思えば、カードを展開して「相手の気持ち」に見立てた読みはできる。占星術でも、シナストリーやコンポジットを使って、二者の関係性から「相手がどう感じているか」に近い読みをすることは技術的に不可能ではない。

だからこそ、やらない。

「できるけどしない」と「できないからしない」の間には、大きな差がある。できないからしないのであれば、それは能力の限界だ。でも私の場合は、できる状態であえてしないことを選んでいる。その選択に、私の仕事に対する姿勢のすべてが詰まっていると言っても過言ではない。

料理人が「この食材で料理を出せますよ」と言える立場にありながら、「でもあなたの体には今この食材は向いていない」と判断して別の料理を提案するのと同じことだ。腕があるから引き受ける、ではなく、腕があるから何を提供すべきかを判断できる。それが職人としての誠実さだと思っている。

地上波の番組に出演させていただいたとき、ディレクターさんから「視聴者が喜ぶ占いをしてください」と言われたことがある。その「視聴者が喜ぶ占い」の中には、恋人の気持ちを読む演出も含まれていた。私はそのとき、丁寧にお断りした。代わりに「相談者自身の状態と、この先の流れ」という形で読むことを提案した。最初は難色を示されたが、実際に放映されたセッションは、視聴者から「本質を突いている」という反響があったと後で聞いた。やり方を変えても、誠実さは伝わる。私はそれを、あの現場で確認した。

「答えを渡す占い」と「問いを渡す占い」の分岐点

占いには、大きく分けて二つのスタイルがあると思っている。ひとつは「答えを渡す占い」、もうひとつは「問いを渡す占い」だ。どちらが優れているという話ではなく、どちらを選ぶかによって、占い師が相談者に対して持つ責任の質が変わる。

「答えを渡す占い」は、その場の満足度が高い。「こうなります」「相手はこう思っています」「このタイミングで動きなさい」という明確な指示は、不安の中にいる人間にとって、岩のような安心感を与える。それは否定しない。その安心が必要な局面も確かにある。

ただし、その安心には賞味期限がある。「こうなります」が外れたとき、あるいは状況が変化したとき、その答えは崩れる。崩れた安心は、最初から安心がなかったときより深い不安を生む。私は何度か、そういう状態になった方の二度目の相談を受けたことがある。「前の占い師に絶対大丈夫と言われたのに、全然違う展開になった」と泣きながら話してくれた方がいた。その方が最初に受けた鑑定が「答えを渡す占い」だったかどうかは知らないが、少なくともその答えは、その方の自立する力ではなく、占い師への依存心を育てていた。

「問いを渡す占い」は、その場の満足度が必ずしも高くない。「あなたが本当に向き合うべきことはこれではないですか」という問いを返されたとき、人は一瞬、拍子抜けする。「もっとはっきり教えてくれると思っていた」という顔をされることもある。でも帰り道で、じわじわと何かが動き始める。それが「問いを渡す占い」の効果だ。即効性はない。でも持続性がある。

私が選んでいるのは、後者だ。それが「相手の気持ちを占わない」というルールの、もうひとつの側面でもある。

愛することと、管理することの違い

ここまで読んでくださった方には、少し踏み込んだことを話したいと思う。「相手の気持ちを知りたい」という欲求の、さらに奥にあるものについてだ。

人が誰かを愛するとき、その相手をコントロールしたいという衝動が、愛と並走して生まれることがある。これは意地悪な指摘ではなく、人間の心理として非常に自然なことだ。愛するからこそ、失いたくない。失いたくないからこそ、相手の状態を把握したい。把握することで、何かを「防ごう」とする。

「相手の気持ちを占いたい」という欲求の底には、この「管理したい」という衝動が潜んでいることがある。相手の気持ちがわかれば、それに合わせた行動が取れる。その行動によって、関係を自分の望む方向へ操作できると、どこかで思っている。それは愛ではなく、愛に見えた管理欲だ。

もちろん、本人に悪意はない。むしろ愛情が深いからこそ生まれる衝動だ。でも愛というのは、本来、相手を管理しないところから始まる。相手が自分の思い通りにならないことを受け入れた上で、それでも一緒にいたいと思う気持ちだ。相手の内心を事前に知って、それに合わせた一手を打つ、というのは、ゲームの攻略に近い。相手を人格のある他者として扱っているとは言いにくい。

ある春の午後、窓から桜が見えるカフェで、友人とこの話をしたことがある。友人は恋愛に悩んでいて、「相手の気持ちをどうにかして知りたい」と言っていた。私がこの話をすると、友人はしばらく黙って、窓の外を見た。そして「私、好きな人を人間じゃなくて、攻略対象として見ていたかもしれない」と小さな声で言った。桜の花びらが一枚、窓ガラスに貼り付いて、風で剥がれていった。その友人は今、全く別の形で、その人と関係を築いている。攻略をやめたから、だと私は思っている。

このルールを、誰かに強制するつもりはない

最後に、誤解のないように言っておきたいことがある。私が「相手の気持ちを占わない」のは私個人のルールであって、占い全体の正解ではない。世の中には「相手の気持ちを読む」ことを得意とし、そこに確かな精度と誠実さを持っている占い師がいる。そういう方の仕事を否定する気持ちは、私には一切ない。

占いは多様な形がある。術者によって、使い方によって、目的によって、その形は変わる。重要なのは、どんな形であれ、相談者の人生に対して誠実であることだと思っている。その一点さえ守れていれば、やり方の違いは問題ではない。

私がここで書いたことは、「Layla(レイラ)という一人の占い師が、15年の実践の中で選び取ったスタンス」だ。それがすべての人に、すべての占い師に当てはまるとは思っていない。ただ、私のもとへ相談に来てくださる方には、このスタンスの上で鑑定が行われるということを、知っていてほしい。そのほうが、お互いにとって誠実だと思うからだ。

予約を入れてくれるとき、「相手の気持ちを知りたい」という気持ちがあって当然だ。その気持ちをそのまま持って来てほしい。私はその気持ちを否定しない。ただ、セッションの中でその「知りたい」がどこから来ているのかを、一緒に掘り下げていく。その先に出てくるものが、あなたが本当に持ち帰るべきものだと、私は経験上、確信している。

占いとは、鏡だ。相手を映す鏡ではなく、自分を映す鏡だ。その鏡の前に立つ勇気が、あなたの中にあるかどうか。それだけが、鑑定の質を決める唯一の条件だと、私は思っている。

鑑定室を出た後、あなたに残るもの

セッションが終わって、相談者の方がドアを開けて出ていく瞬間がある。私はいつも、その後ろ姿をほんの少し見送る。重い足取りで来た方が、少しだけ背筋を伸ばして帰っていくとき、私の仕事はそこで完結したと感じる。渡したのは「答え」ではなく、自分自身に戻る入口だったはずだと確認しながら。相手の気持ちより、あなた自身の気持ちのほうが、ずっとずっと、面白い。

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