「先生」と呼ばれるのが、苦手だった頃の話。

「先生」と呼ばれるたびに、背中がほんの少し固まる感覚があった。
うまく説明できないまま、それでも笑顔で返していた時期が、確かにあった。

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最初に「先生」と呼ばれた日のこと

忘れもしない。20代後半、まだ占い師としてのキャリアが5年にも満たなかった頃。当時のわたしは小さなサロンの一角を間借りして、週に数回だけ鑑定を受け付けていた。椅子もテーブルも、オーナーのものを使わせてもらっていた。自分の「場所」なんて、まだどこにもなかった時代の話だ。
その日、予約のお客様が扉を開けるなり、はっきりとした声で言った。「先生、よろしくお願いします」と。
びっくりした。文字通り、動揺した。内心では「いや、わたし先生じゃないんだけど」という言葉が喉元まで出かかっていた。でも相手は真剣な目をしていて、その真剣さに押されて、わたしは「こちらこそ、よろしくお願いします」とだけ返した。「先生」という呼称を、肯定も否定もしないまま、その場をやり過ごしたのだ。
セッションが終わって一人になったとき、テーブルの木目をぼんやり眺めながら考えた。わたしはいったい、何者として座っていたんだろう、と。タロットのカードを広げて、星のチャートを読んで、相手の人生の断片を言葉にする。それがわたしの仕事だ。でも「先生」か、と問われると、なんか、違う気がする。そのモヤモヤの正体が何なのか、当時のわたしにはまだわかっていなかった。

「先生」という言葉が持つ重力

「先生」という言葉には、独特の重力がある。
医師、弁護士、教師、政治家。日本語でこれらの職業の人を呼ぶとき、わたしたちは自然に「先生」という言葉を使う。そこには知識の非対称性があって、教える側と教わる側の明確な境界線がある。「先生」は答えを持っている人で、「生徒」は答えを求めている人だ、という暗黙の了解が、その二文字には凝縮されている。
だからこそ、わたしは怖かった。
占いというものは、答えを「渡す」仕事じゃないとわかっていたから。星が何を語っていようと、カードが何を映し出していようと、最終的に人生を選ぶのはその人自身だ。わたしにできるのは、光の当て方を変えることだけ。影の形が変われば、見えてくる輪郭が違ってくる。そういう仕事だと思っていた。なのに「先生」と呼ばれた瞬間、まるで「答えを持っている人」として位置づけられてしまうような気がした。
その重圧は、想像以上だった。答えを渡せない人間が「先生」と呼ばれる罪悪感、みたいなものが、じわじわとわたしの中で育っていった。「先生と呼ばれるに値するだけの知識が、わたしにあるのか」という問いが、鑑定のたびに頭の片隅でうずいていた。
今思えば、それはある種の「インポスター症候群」だった。自分の実力を実際より低く見積もって、いつかバレるんじゃないかと怯えているあの感覚。でも当時のわたしには、その言葉すら知らなかった。ただ「先生」という呼ばれ方が、なんとなく居心地が悪かった。それだけだ。

得意なことと「教えること」の間にある溝

わたしは占いが好きだった。西洋占星術のチャートを読むことも、タロットのカードが持つ象徴の重なりを解釈することも、純粋に好きだった。10代のうちから独学で学び始めて、20代で本格的にキャリアを積んだ。好きだから続けられたし、好きだから深くなれた。
でも「好き」「得意」と「教えられる」は、全然別の話だ。
これ、わかる人にはわかってもらえると思う。料理が得意な人が、必ずしも料理を教えるのが上手いわけじゃない。長年の経験で体に染み込んだ「感覚」は、言語化するのが恐ろしく難しい。「塩加減は?」と聞かれて「ひとつまみ」と答えても、そのひとつまみが人によってまったく違う。そのギャップを埋めるのが「教える」という行為の本質なのに、得意な人ほどそのギャップが見えにくくなっている。
わたしにとって、タロットの一枚一枚は呼吸するように読めた。月と土星のアスペクトが何を意味するか、それが体感として理解できていた。でも、それを人に伝えようとした瞬間、言葉が霧の中に溶けていくような感じがした。「こう感じるから、こう読む」という自分の中の回路を、他人が理解できる形に変換する作業が、想像以上に難しかった。
あるとき、友人に頼まれてタロットの読み方を教えたことがある。カフェで二時間ほど、カードの意味やスプレッドの組み方を丁寧に説明した。でも終わった後、友人の顔に浮かんでいたのは「わかった」という表情じゃなかった。「なんとなく聞いたけど、やっぱりよくわからない」という、礼儀正しい困惑だった。
あの表情は今でも覚えている。自分の話し方が悪かったのか、順序が悪かったのか、それとも根本的に「教える」という行為がわたしには向いていないのか。帰り道、ひとりで考えながら歩いた。夕暮れの商店街の匂いと、アスファルトの熱が足の裏に伝わってくる感触と一緒に、あの困惑した友人の顔が頭に焼き付いた。

転機は、ある受講生の一言だった

それから数年後。Atelier Varyを立ち上げて、本格的にスクール事業を始めることにしたとき、正直に言うと迷いがあった。鑑定師としてのキャリアは積み重なっていた。地上波の番組に呼ばれることもあって、企業の顧問としてお声がけいただくこともあった。でも「教える人」としての自信は、まだどこか頼りなかった。
最初の講座は、恐る恐るのスタートだった。少人数で、慎重に。受講生の反応を見ながら、都度修正しながら進めていった。ある日の講座後、一人の受講生が残って話しかけてきた。
「レイラ先生の説明って、なんで頭に入るんだろうと思って考えてたんです」と彼女は言った。「なんか、完璧に整った教科書を読んでる感じじゃなくて、先生が実際に迷ったこととか、失敗したこととか、そういうのが混じってくるから、リアルで。それがわかりやすいんだと思う」
その言葉を聞いた瞬間、何かがすとんと落ちた。
わたしはずっと「完璧な先生」になろうとしていた。知識に抜けがなくて、説明が整然としていて、質問に即座に答えられる、そういう人間。でもその受講生が言っていたのは逆のことだった。迷いながら、失敗しながら、それでも前に進んできた人間としてのリアリティが、伝わることがある、と。
わたしが「先生」という言葉を嫌っていた理由の一つは、「先生」は完璧でなければならないという思い込みだったのだと、そこで初めて気づいた。正確に言うなら、完璧でないとバレたときが怖かった。それだけのことだ。でもその受講生は、完璧じゃないところに価値を見出してくれていた。

「教える」ことは「伝染させる」ことだと気づくまで

ヘアメイクの仕事をしていた時期も、わたしには「教える側」に立つ場面があった。アシスタントに技術を伝えたり、撮影現場で後輩に段取りを説明したり。その経験から得た確信がある。
上手な人が上手に教えられるわけじゃない。伝わる教え方というのは、技術の話じゃなくて「熱」の話だ。
好きで好きで仕方ない、という熱が、言葉や所作に滲み出てくるとき、受け取る側は技術じゃなくてその「熱」に感染する。感染した側は、自分で動き始める。それが「教わった」ということの本質だと思う。
占いも同じだった。わたしが伝えたかったのは、タロットの78枚のカードの意味を丸暗記させることじゃなかった。「宇宙の言語で、人間の物語を読む」という行為そのものの面白さ、その入口に立ったときのあの震えるような感覚を、一緒に感じてほしかった。
あるとき、講座の中で12星座の神話を話した。ただの知識として伝えるんじゃなくて、わたし自身が10代の頃にその神話を初めて読んで、鳥肌が立った瞬間の話をしながら。星というのが単なる天体じゃなくて、人間が何千年もかけて「物語」を投影してきた壮大なスクリーンだって気づいたあの夜の話を、そのまま伝えた。
講座が終わった後、受講生の何人かが目を輝かせていた。「早く星図を開きたい」という顔をしていた。その顔を見て、わたしはやっとわかった。「教える」というのは知識を移植する行為じゃなくて、火を分け与える行為なんだ、と。わたしが持っている炎を、あなたに渡す。あなたがその火で自分の炉に火をつける。それだけのことだ。それだけの、ことだけど。

苦手だった理由の、もう一つの本音

もう一つ、ちゃんと言っておかないといけないことがある。
わたしが「先生」と呼ばれることを苦手にしていた理由の中に、もっと個人的な、ちょっと恥ずかしい本音があった。
「先生」と呼ばれると、距離ができる気がしていたのだ。
鑑定の場というのは、ある種の密室だ。相手の人生の核心に触れる言葉が飛び交う、そこだけにある空気感がある。わたしはその密度の濃い空間が好きだった。対等な人間同士が、真剣に向き合っている、あの感じ。「先生」という呼称はそこに上下の軸を持ち込む。上にいる人と、下にいる人。そのヒエラルキーが、あの密室の空気を変えてしまう気がした。
だから、鑑定のときは今でも「レイラさん」と呼んでほしいと伝えている。「先生」でも「センセイ」でもなく、レイラ。それはわたしのわがままかもしれないけど、その呼び方の方が、本質的な話ができると信じているから。
でも、スクールの場は違う。
教える場所においては、ある程度の「軸」が必要だと今は思っている。全員が対等で、誰も引っ張らなくて、というフラットな空間は一見理想的に見えるけど、学びの場においては機能しないことが多い。誰かが「これはこういうことだ」と言い切る力を持っていないと、全員が霧の中で立ち尽くすことになる。
その「言い切る力」を持つ人間のことを「先生」と呼ぶなら、わたしは今ならその呼び名を受け取れる。少なくとも、背中が固まることはなくなった。むしろ、ちゃんと立てるようになった、という感覚がある。それがいつからか、と問われると、はっきりとした境界線は引けない。でも確かに、変わった。

「わからない」と言える先生が、いちばん怖い

15年のキャリアを経て、今のわたしが講座の中で一番よく使う言葉の一つは「わからない」だ。
「このカードがこの状況でこう出たとき、どう読みますか?」という質問に、「正直なところ、わたしもいくつかの解釈の間で迷います」と答えることがある。完璧な先生なら即答できるかもしれない。でも即答できないことの方が、実は誠実だと思うから。
占いは、科学じゃない。同じカード、同じ配置、同じ質問であっても、目の前にいる人が誰かによって、その日の空気によって、読みは変わる。それが占いの豊かさでもあり、難しさでもある。その豊かさに正直であるためには、「わからない」と言える勇気が必要だ。
以前、ある占い師の先輩に言われたことがある。「わからないと言える先生が、いちばん怖いよ」と。最初は意味がわからなかった。でも今は少しわかる。「わからない」と言える人は、わかってないのに「わかる」と言わない人だ。その誠実さは、長い時間をかけて信頼になる。はったりや自信過剰は、短期的には「頼もしさ」に見えるかもしれないけど、やがてひびが入る。
わたしは「わからない」と言いながら、一緒に考える先生でいたい。それは弱さじゃなくて、一つのスタンスだと今は思っている。受講生の中にある問いが、わたしの中にある問いと交差する瞬間がある。そういうとき、教える側と教わる側の境界線が一瞬だけ溶ける。わたしはその瞬間が、一番好きだ。

「先生」という言葉を受け取れるようになった日

具体的な日付は覚えていないけど、場面は覚えている。
Atelier Varyのスクールが少しずつ軌道に乗り始めた頃、講座の最終回が終わった後のことだ。数ヶ月間一緒に学んできた受講生たちと、小さな打ち上げをした。近所のイタリアンで、ワインを飲みながら、講座の思い出話をした。笑い声が絶えない夜だった。
その席で、一人の受講生がグラスを持ったまま言った。「先生に会えてよかった」と。
その瞬間、以前のように背中が固まらなかった。むしろ、その言葉がすとんと胸に落ちた。彼女が「先生」という言葉に込めていたのは、「答えを全部持っている人」という意味じゃないことが、長い時間を一緒に過ごしていたからわかった。一緒に考えてくれた人、背中を押してくれた人、その行為そのものを「先生」と呼んでいた。
その解像度で「先生」という言葉を受け取ったとき、はじめてその言葉がわたしのものになった気がした。
「先生」は答えを持っている人じゃない。問いを持っている人だ。正確に言うなら、問いの育て方を知っている人だ。その問いを、誰かに渡すことができる人だ。その定義で生きていくなら、わたしは確かに「先生」でいられる。そう思えるようになった夜の、パスタの塩加減まで、なぜか覚えている。

今、誰かに教えようとしているあなたへ

もし今、「教える側」に立つことへの怖さを持っている人がいたら、少しだけ聞いてほしい。
完璧じゃないと教えてはいけない、という法律はどこにもない。
むしろ、完璧な人間が教える場所には、酸素が薄い。完璧な答えが常に降ってくる場所では、受け取る側が考えることをやめる。問いを持つことをやめる。ただ受け取るだけの容器になっていく。それは教育じゃなくて、コンテンツの消費だ。
わたしが15年かけて少しずつ理解したのは、「教える」という行為は「自分が知っていることを渡す」ことより、「一緒に考える場を作る」ことの方が、ずっと大事だということだ。場を作るために必要なのは、完璧な知識じゃない。問いへの誠実さと、正直さだ。
それと、もう一つ。
「先生」と呼ばれることへの抵抗感は、案外、自分の誠実さの証拠だったりする。「その呼び名に値するか」という問いを持てる人間は、少なくとも、その呼び名を軽く使わない。そういう人間が場を作るとき、そこには信頼の土台ができやすい。
苦手だった、でいい。苦手だったからこそ、丁寧に扱ってきた。その時間は、無駄じゃなかった。今のわたしがそう言えるのは、当時の「苦手」が、ちゃんと働いてくれたからだと思っている。
占い師として、ヘアメイクアーティストとして、ライターとして、いくつもの「教える場」に立ってきた。そのたびに少しずつ、「先生」という言葉の解像度が変わった。最初は重すぎた言葉が、今はちょうどいい重さで胸のあたりに収まっている。重くなくなったわけじゃない。ちょうどよくなっただけだ。
重さのない言葉を、人は長くは持ち歩かない。

それでも、呼び方より大切なことがある

最後に、一つだけ。
「先生」と呼ばれようが呼ばれまいが、結局のところ問われるのは、あなたが目の前の人と真剣に向き合っているかどうか、それだけだ。
呼び名は器だ。器が立派でも、中身が空なら意味がない。逆に、器がどんな形でも、中身がちゃんとあれば、人は受け取れる。「先生」と呼ばれることに憧れる人も、わたしのように苦手だった人も、最終的に試されるのは同じ場所だ。
わたしが20代の頃、あのサロンの一角で「先生、よろしくお願いします」と言われてとまどっていた自分に、今なら何と言うだろうか。
たぶん、何も言わない。
ただ、隣に座って「大丈夫」とだけ言う気がする。その「大丈夫」の根拠は、15年後に少しずつわかってくるから、今はただ、目の前の人と向き合っていればいい。呼び名の重さに潰されなくていい。その重さは、あなたが思っているより、もっとゆっくり、馴染んでいくから。
Layla Essayを読んでいる人の中に、教えることを怖いと思っている人がいるなら、その怖さがどこから来ているか、少し丁寧に眺めてみてほしい。
その怖さの形が見えたとき、あなたが次に踏み出す一歩の方向が、自然と決まってくるはずだから。

ヘアメイクの現場で「教える側」に初めて立った日

占いの話ばかりしてきたけど、わたしには別の顔もある。ヘアメイクアーティストとしてのキャリアだ。こちらの世界でも「教える側」に立つ経験があって、その体験が、今のわたしの「教えること」への向き合い方を相当に形作っている。
撮影現場というのは、独特の空気が流れている場所だ。スタジオに入った瞬間から、光の強さと温度と、何十人もの人間の緊張が混ざり合って、独自の濃度を持った空気になる。その空気の中で、手を動かしながら判断を積み重ねていく。ブラシの角度、ファンデーションのテクスチャ、光の当たる方向を計算したハイライトの位置。それは体で覚えた言語みたいなものだから、言葉に変換するのが本当に難しい。
あるとき、若いアシスタントから「どうやったらそんなに速く判断できるんですか」と聞かれた。控え室で、モデルさんを待っている短い時間のことだ。わたしは正直に「わからない」と答えた。彼女の顔に、わずかな失望が浮かんだのを覚えている。
でも続けた。「わからないんじゃなくて、言語化できないんだよね。だから一緒に現場に立ち続けることしかできない」と。
その言葉を言いながら、はっとした。これは占いにも全く同じことが言える、と。体感を言語化する困難さは、分野が変わっても変わらない。そして、その困難さを超えて伝わるものは、時間と場を共有することの中にしかない。言葉より、隣にいること。それがわたしの「教え方」の根幹になっていった。

「答え合わせ」を求める受講生に、どう向き合うか

スクールを運営していると、ある種のパターンを持つ受講生に出会う。悪い意味じゃない。ただ、その傾向を把握しておかないと、お互いにとって不幸なことになる、というパターンだ。
「答え合わせ型」と、わたしは心の中で呼んでいる。
この人たちは、すごく勤勉だ。予習もしてくる、ノートもびっしり取る、質問も鋭い。でも根本のところに、「正しい答えを教えてもらいたい」という欲求がある。占いを習いに来ているのに、占いを「正答のある試験問題」として捉えているような感覚がある。
ある受講生が、こんなことを言った。「先生が出したカードの読みと、わたしが出した読みが違うんです。わたし、間違ってますか?」
その問いに対して、昔のわたしなら焦っていたと思う。どちらが正しいかを判定する立場に置かれることへの、あの居心地の悪さ。でも今は、違う入り方ができる。
「違う、じゃなくて、別の景色が見えてる、ってことだよ」と答えた。「同じ山を北側から見るか南側から見るかで、形が変わる。どっちが正しい山の形か、なんて問いは成立しない」
彼女はしばらく黙っていた。それから「じゃあ、先生の読みとわたしの読みが両方正しいってことも、あるんですか」と聞いた。
「ある」と答えた。「というか、そっちの方が多い」
その瞬間の彼女の顔の変化が、忘れられない。何かが解放されたような、軽くなったような顔だった。「正しい答えを知らなければいけない」というプレッシャーから降りた顔、とでも言おうか。あの表情を見るたびに、占いというものの本質について改めて考えさせられる。答えを渡す仕事じゃない、ということの意味が、また一段と深くなる気がする。

「教わる側」に戻ったとき、見えてきたもの

キャリアが10年を超えた頃、わたしは意識的に「教わる側」に戻る機会を作るようにした。占星術の勉強会に一受講生として参加したり、ライティングのワークショップに出たり。それは謙虚さのためというより、純粋に「教わる側の感覚」を忘れたくなかったからだ。
教える立場が長くなると、知らないうちに「教わる側がどう感じるか」への想像力が鈍っていく。わからないときの焦り、理解できたときの喜び、わかったふりをしてしまうあの瞬間の罪悪感。それらを定期的に自分の体で感じ直さないと、教え方がどんどん一人歩きしていく気がした。
あるライティングのワークショップで、わたしは見事に撃沈した。課題として書いてきた原稿を、ファシリテーターにかなり根本的なところから問い直された。「これ、誰に向けて書いてますか」という問いに、うまく答えられなかった。長年ライターとして書いてきたのに、その問いの前で詰まった。恥ずかしかった。本当に、じわじわと顔が熱くなる種類の恥ずかしさだった。
でも、その恥ずかしさはすごく大事な体験だった。翌月の講座で、受講生の原稿にフィードバックをするとき、あの自分の恥ずかしさを思い出しながら言葉を選んだ。どう言えば「壊す」じゃなくて「開く」になるか。そのバランスは、自分が壊されかけた経験がないと、本当の意味ではわからない。
「教える側」は定期的に「教わる側」に戻るべきだ、というのは今でも固く信じている。それは上下の話じゃない。循環の話だ。流れが一方向になった水は、いつか腐る。

「先生」と呼ばれることと、孤独について

あまり話さないことを、ここで少し話す。
「先生」という立場には、特有の孤独がある。
鑑定の場でもスクールの場でも、わたしは「頼られる側」にいる。それは本当にありがたいことだし、その役割に誇りも持っている。でも、頼られる側というのは、同時に「弱音を見せにくい側」でもある。
あるとき、連続して難しい鑑定が続いた時期があった。重い相談内容が続いて、言葉を選ぶ緊張感が蓄積していく感じ。家に帰ると、しばらく誰とも話したくない状態になる。ソファに座って、窓の外の夜景をぼんやり眺めながら、何も考えないようにしている時間が続いた。
そういうとき、「先生」という立場が少し重かった。誰かに「最近しんどくて」と言えばいいだけなのに、「先生」という言葉がそれを阻む感じがある。根拠のない話だとわかっている。でも「先生がしんどいと言っている」という場面に、どこか罪悪感に似たものを感じていた時期があった。
今は、それも手放した。しんどいときはしんどいと言う。完璧でないことを見せることが、場の信頼を壊すわけじゃないとわかったから。むしろ、人間としての厚みが伝わることの方が、長期的には場を豊かにする。
「先生」という言葉への苦手意識の奥には、この孤独への怖れもあったんだと思う。その立場に立ったら、もう誰かに頼れなくなるんじゃないか、という怖れ。でも現実は違った。立場が変わっても、信頼できる人間関係は作れる。ただ、その作り方が少し変わるだけだ。

肩書きより、目の前の一人との時間が全部だった

結局のところ、「先生」という言葉を苦手にしていた頃のわたしは、呼び名に振り回されていた。呼び名が自分を規定すると思っていた。でも違う。呼び名は相手の側にある言葉であって、わたし自身の中身は、どう呼ばれようと変わらない。
先日、何年も前に鑑定を受けてくれた方から連絡がきた。「あのとき先生に言われた一言で、転職を決めました。今すごく楽しく働いています」という内容だった。正直に言うと、その鑑定の細部はもう覚えていない。でもその人の中に、何かが残っていた。
わたしが覚えていないことが、相手の人生のどこかに根を張っている。その事実が、「先生」という言葉への解釈を最終的に変えた。大げさな定義も、完璧な知識も要らない。ただ誠実に、目の前の一人と向き合った時間の積み重ねが、いつかどこかで誰かの何かになっている。
「先生」とは、その積み重ねに対して贈られる言葉なのかもしれない。そう思えるようになったとき、あの頃の背中の固まりが、ようやく完全に溶けた気がした。呼び名じゃなくて、時間の話だったのだ、最初から。

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